“ドラゴン”久保竜彦に訪れた転機 運命のマリノス移籍を決めた名将・岡田武史の言葉
2022シーズンのJリーグが開幕してから約2カ月。少しずつ新チームの戦力が見えてきたところだが、近年は川崎フロンターレの強さが光る。今シーズンも川崎が抜け出すのか、それとも川崎を止めるチームが現れるのか。ここから楽しみが増してくるはずだ。
Jリーグを沸かせた男・久保竜彦 岡田武史氏との出会いが移籍の決め手に
2022シーズンのJリーグが開幕してから約2カ月。少しずつ新チームの戦力が見えてきたところだが、近年は川崎フロンターレの強さが光る。今シーズンも川崎が抜け出すのか、それとも川崎を止めるチームが現れるのか。ここから楽しみが増してくるはずだ。
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かつて2000年代初頭にも、そんな時代があった。サックスブルーの代名詞で知られるジュビロ磐田の黄金時代。その牙城を崩したのが、岡田武史氏率いる横浜F・マリノスだった。岡田氏に導かれるようにトリコロールの一員となった久保竜彦がJリーグの熱狂時代を回顧する。
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久保竜彦といえば、日本人離れした身体能力を前面に押し出したプレースタイルで有名だ。私生活でも野性味溢れる立ち居振る舞いで周囲を驚かせた豪快を地で行くストライカーとしてサッカーファンに広く知られている。
ピッチ外でのエピソードには事欠かない。
「若い時は、酒を飲みたい時に飲んでいました。試合が終わると、すぐに飲みに行っていましたから(笑)。でもね、だんだんと身体が悲鳴を上げてくる。サッカーをやってもケアをまったくせずに酒を飲んで、ほとんど眠らずに次の日の練習に行く。それを繰り返すわけだから。適当にやっていましたね、ホンマに」
日本中が自国開催のワールドカップで盛り上がっていた2002年、久保は高卒で加入したサンフレッチェ広島の一員としてプレーしていた。
東京や大阪といった大都市と比べて、地方都市の広島はW杯一色には染まっていなかった。そのため生活スタイルを大きく変えることなく自然体で生きていけた。
「広島といえば、やっぱり広島東洋カープやから(笑)。当時はサンフレッチェのホームゲームで満員になることはほとんどなかったし、アウェイの遠征に行ってもお客さんをたくさん呼べるチームではなかった。でも僕はサンフレッチェが大好きやったから。声かけてくるのは男ばっかりだけどね。『久保、飲みすぎ!』とか(笑)」
転機となったのは2003年の横浜F・マリノスへの完全移籍だ。