日本の歴史を変えたカーリング藤澤五月 負けず嫌いな末っ子「さーちゃん」の成長物語
指導してきた恩師が証言する練習熱心な姿
そのカナダへの家族旅行から7年後、2008年の日本ジュニア選手権を制したチーム藤澤は、09年の世界ジュニア選手権出場のためにカナダ・バンクーバーに向かった。翌年にバンクーバー五輪を控えていることもあり、当時の日本代表「チーム青森」のコーチでもあった阿部晋也(現・北海道コンサドーレ札幌)がこの大会に帯同しているが、阿部が印象的だったのは藤澤五月の貪欲な姿勢だったと振り返る。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
「特に戦術面ですね。ミーティングでエンドごとの考え方や、攻め方でも『この時はこういう選択肢もあったよ』とオプションを伝えると、次の試合でしっかり活かしていました。あとは同時期にやっていたブライヤー(男子のカナダ選手権)をみんなで観たりして、とにかく情報を集めて自分なりに分析できる頭のいい子という印象でした」
藤澤本人が「お父さんが日本で勝たせてくれて、阿部さんが世界を見せてくれて、はと美さんが世界の戦い方を教えてくれて、JDと勝ち方を探っている」と言っていたことがあった。
「はと美さん」とは中部電力時代の長岡コーチ、「JD」とは現ナショナルコーチのジェームス・ダグラス・リンドだ。
「あの子、本当にカーリング命で暮らしているでしょう。放っておくとずっと(石を)投げているし、やるって決めたら絶対やり抜く子だった」(長岡コーチ)
「五月がよくメディアやファンから『スーパーだ』とか『凄いショットを決めた』とか褒められているけれど、僕はそこまで驚かない。それくらいの練習はしてきたし、できる選手と僕は知っているから」(JDコーチ)
単身で軽井沢に向かった18歳の藤澤を受け入れた長岡コーチ、北海道に戻ってからカーラーとして世界に駆け上がった藤澤を最も近くで見守ってきたJDコーチ。その2人の言葉に滲むように、カーリングが大好きで頑固で練習熱心。それは本人の言葉にあった4人の恩師が、共通して語ってくれた藤澤五月の特性だ。
その一方で、末っ子気質も持っている。家族や地元の北見、炊き立ての白いご飯が大好きで、今季のような長い遠征ではプチホームシックになることもしばしばだと、汐里さんが教えてくれた。
今年の年越しはカルガリーに滞在していたが、日本時間の元日0時にオンラインで新年の挨拶をし、さらに五月のために常呂神社に“Zoom初詣”を敢行したという。
父親の充昌さんは、北京の地で戦う愛娘に「笑顔いっぱいのプレーを期待しています。思いっきりカーリングを楽しんで、無事に帰ってきてほしい」というメッセージを送る一方で、帰ってきたら学生の頃によくしていたカーリング談義がしたいと希望している。
「私も現役プレーヤーなので、娘から最新の情報を知りたい。本人があまりしたくなさそうに感じていますが」