高木美帆は「100年に一度の選手」 高校から年60レース、未来が見えていた天才の凄さ
「THE ANSWER」は北京五輪期間中、選手や関係者の知られざるストーリー、競技の専門家解説や意外と知らない知識を紹介し、五輪を新たな“見方”で楽しむ「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」を連日掲載する。
「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#88 帯広南商スケート部監督が語る高木美帆の凄さ
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北京五輪で5種目にエントリーしたスピードスケート女子の高木美帆(日体大職)が17日、最終種目となる1000メートルに出場し、1分13秒19の五輪新記録で個人種目では初めてとなる悲願の金メダルを獲得した。これで高木は今大会、1500メートルと500メートル、団体追い抜き(パシュート)の3種目で獲得した銀メダルに続き4個目のメダル。平昌大会(金1、銀1、銅1)と合わせて通算7個となり、日本女子歴代最多を更新した。
3度目の五輪出場で歴史を塗り替える結果を残したが、その強さの源はどこにあるのだろうか。帯広南商業高校スケート部監督として、高木を3年間指導した東出俊一さんの言葉を中心に、稀代のオールラウンダーの凄さに迫った。(取材・文=THE ANSWER編集部・谷沢 直也)
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高木が“スーパー中学生”と言われ、初めて五輪に出場したのは2010年バンクーバー大会。直後に進学した帯広南商業高校のスケート部で監督だった東出俊一さんは、「逸材はいっぱいいるけど、本当に皆さんが言われるように、(スピードスケート界で)100年に一度の選手でしょうね」と、今や世界のトップ選手となった高木をそう評する。高校の3年間だけでなく、小さい頃からその類稀な才能を間近で見てきた。
「(高木美帆が)小学校6年生の時から、ウチ(帯広南商)にはお兄さんとお姉さんがいて。美帆の2歳上が菜那で、そのさらに2歳上が大輔というお兄さんなんです。大輔が高校1年生の時に菜那が中2、美帆が小6で、日曜日にトレーニングがあった時などは、姉妹が遊びに来ていたことが何度もあった。その頃から美帆は、この地区では本当に今のようになるだろうと言われるくらいの逸材だったんです」
高校に入学後、東出さんは高木の才能だけでなく、スピードスケートに取り組む姿勢にたびたび驚かされる。「精進というか、本当に抜くところがない」という高木は、どんなに過密日程になろうとも短・中・長距離と複数の種目に出続けた。東出さん曰く、スピードスケート界における常識としては、中学まではオールラウンダーで良いものの、高校以上になるとパフォーマンスをより高めるために、種目を絞り、出場する大会も勝つために狙いを定めるのが一般的だという。