13歳で世界を制したスノボ村瀬心椛 岐阜から片道3時間のジャンプ台で磨いたエア技術
「THE ANSWER」は北京五輪期間中、選手や関係者の知られざるストーリー、競技の専門家解説や意外と知らない知識を紹介し、五輪を新たな“見方”で楽しむ「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」を連日掲載する。
「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#75 立山KINGS所長が語る7年前からの成長
「THE ANSWER」は北京五輪期間中、選手や関係者の知られざるストーリー、競技の専門家解説や意外と知らない知識を紹介し、五輪を新たな“見方”で楽しむ「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」を連日掲載する。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
北京五輪のスノーボード女子スロープスタイルとビッグエアの日本代表に決まり、「かっこいい滑りをしたい」と意気込みを語っていた17歳の高校生スノーボーダー、村瀬心椛(ムラサキスポーツ)が北京の空を華麗に舞った。15日に行われたスノーボード女子ビッグエア決勝、予選を2位で通過していた村瀬は、1回目で80.00点、2回目で91.50点をマーク。3位となり、日本の女子選手として冬季五輪史上最年少メダリストとなった。17歳にして日本のスノーボード史にその名を刻んだ村瀬は、いかにして大技を習得してきたのか。小学生時代から通い、技術を磨いてきた「立山KINGS」の所長・石川諒さんに話を聞いた。(取材・文=THE ANSWER編集部・谷沢 直也)
◇ ◇ ◇
岐阜県出身の村瀬は幼少期からスノーボードを始めると、すぐにその魅力に取りつかれていく。そして2歳年下で、現在は同じプロスノーボーダーとして活躍する妹・由徠とともに、週末に車で3時間以上かけて通ったのが「立山KINGS」(当時の名称は富山KINGS)だ。
富山市街から立山連峰へと向かう道の途中にあるこの施設は、スノーボード・フリースタイルスキーのジャンプやジブを、冬場を除く4月から12月上旬まで楽しめる場所。「KINGS」として運営されている同様の施設は全国に複数あるが、2013年9月にオープンした立山KINGSの売りになっているのが、国内最大級のジャンプ台「BANGER」だ。飛距離14~18メートルを誇るこのジャンプ台は、今も村瀬の練習拠点の一つとなっており、阪西翔コーチの指導を受けながら技術を磨いている。
立山KINGSの所長・石川諒さんは、7年前にスタッフとして入った時、初めて村瀬に会った時のことを覚えている。
「お父さんが毎週土日に送り迎えをされていて、たぶん(立山KINGSの)オープン当初から通われていたと思います。心椛も妹の由徠も、2人ともスノーボードに取り組む姿勢が違うなと。性格は本当に普通の女の子で、自分らとも仲良く喋る妹的な感じだったんですけど、本当にスノーボードには秀でたものがあって、見るからにほかの子供たちと違うところがありました」