東京生まれ“湯沢育ち”の17歳川村あんり 「1人だけの卒業式」に恩師が見た仲間との絆
「THE ANSWER」は北京五輪期間中、選手や関係者の知られざるストーリー、競技の専門家解説や意外と知らない知識を紹介し、五輪を新たな“見方”で楽しむ「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」を連日掲載する。
「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#27 湯沢学園時代の恩師が見た成長
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フリースタイルスキー・女子モーグルは6日に決勝が行われ、17歳の川村あんり(日体大桜華高)は6人による決勝3回目に進出するも、77.12点と得点が伸びずに5位となり、メダルを逃した。今季のワールドカップ(W杯)で初優勝を含む3勝を挙げ、総合ランキング1位で臨んだ初めての五輪。重圧の中で戦い、決勝後に涙を流した高校2年生は、どのような学生生活を送ってきたのか。中学時代の恩師である小片宏記さん(現・小千谷中学校教諭)に話を聞いた。(取材・文=原山 裕平)
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東京都東久留米市出身の川村がスキーを始めたのは3歳の時。祖父が新潟県の湯沢町にマンションを所有していたため、シーズンになると東京から毎週のように、湯沢にあるスキー場へ滑りに行っていたという。
本格的に競技を始めた小学生の時は東京で生活していたものの、スキーシーズンになると湯沢町の学校に転校し、滑りの技術を磨く生活を続けた。中学に上がるタイミングで生活拠点を完全に湯沢町に移し、小中一貫校の湯沢学園に入学。当時同校に赴任していた小片さんは2、3年生の時に川村のクラスを受け持った。
「とにかく、元気で明るい子でした」と小片さんは振り返る。
「あんりさんがいるといないとでは、クラスの雰囲気が変わってしまうくらいムードメーカー的な存在でしたね」
もっとも川村は、1年生の時から強化指定選手に選ばれるなど、スキーの活動で多忙な日々を過ごした。2年生になると遠征なども増え、学校に来る機会はだんだんと減っていった。
小片さんは、授業をなかなか受けられない川村が学業に苦しむ姿を見てきたという。
「勉強は一生懸命やっていたし、頑張っていましたよ。ただスキーの活動が忙しく、特に3年生になってからは学校に来られないことが多かったので、久しぶりに学校に来ても、授業が分からないようで本人も苦しんでいましたね」
英語も決して得意とは言えなかった。だから今、SNSやテレビのインタビューで流暢な英語を操る川村を見るたびに、小片さんは「中学時代からのギャップを感じますね(笑)」と驚かされるそうだ。