「踊れる男子を育てたい」 高橋大輔の恩師、フィギュア指導者を志した人生の転機
最初の生徒は全日本ジュニア王者
――女子大学生がどんな流れで指導者になったのでしょう? 思い切った決断だったと思います。
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「昔はコンパルソリー(氷上を滑って課題の図形を描き、その滑走姿勢と滑り跡の正確さを競う種目。1990年に廃止)があって、かなり朝早い時間から練習して疲れ切って、授業を受けて、(勉強が)身についているか怪しかったので、もう一度勉強してやり直そうか、とも思ったんです。でも、この気持ちを優先したいって。1年早く指導者を始めることで、いろんなことを吸収したいと。そこで当時、私を教えてくださっていた先生に相談したら、『スケート教室で見ている男の子を教えたら?』と1人紹介してもらって。近藤一朗くんと言って、全日本ジュニアで優勝しました」
――最初の生徒が全日本ジュニア王者とは!
「近藤くんは、本人がすごくよく練習しましたから。今から思ったら、(指導者として)やり方も稚拙で、恥ずかしいことばかりです。時代背景もあって。私が学生の頃は先生に怒られるって当たり前(苦笑)。だから試行錯誤の連続でしたね」
――今や男子が“踊るプログラム”は当たり前になっていますし、先見の明があったというか、高橋選手はまさに表現者です。
「時代が変わって、“男子も踊らないといけない”というスタイルになったというのは嬉しいことですね。男性でもアーティスティックな振り付けが主流になると思っていたので。当時から(今の指導を)始めていて良かったなとは思います」
――50年近い指導者人生になります。
「大輔が復帰して全日本で2位になった時(2018年12月)、ステファン(・ランビエルコーチ)に『ところで、何年間教えているの?』って聞かれて、『40何年か』って答えたら、『もう、嘘ばっかり』って。あー、私の年、分かってないって思いました(笑)」
――真似した指導者などはいなかったんですか?
「真似したい、素敵な指導者はたくさんいますよ。皆さん、尊敬していますし。でも、なりたくてもなれないです」