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海外挑戦は「若いほど良い」は幻想 18歳メッシの適応と「自己の確立」の重要性

メッシはスペインでの適応に躍起になっていなかった

 メッシは13歳の時、アルゼンチンからバルセロナにやってきた。当時は体が極端に小さく、成長ホルモン投与の注射を毎日、自分で足に打つ必要があった。それは普通の子供には大きな負担だったかもしれないが、彼にとって「大好きなサッカーを上手くなるために欠かせない」という割り切りがあり、「何でもなかった」と肩をすくめていた。

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 少年時代から、メッシは異国で“自然体”で過ごしていた。他の国にやってきた、という力みも気負いも微塵もなかった。これは例外的で、当たり前のことではない。

「メッシは入団当初からアルゼンチン人として成熟していて、そのまま適応していった」

 バルサの育成関係者の証言である。

 アルゼンチン人選手はピッチで死ぬ気で戦い、「勝利のみがすべて」という信念を叩き込まれる。「負けることを糧に」などという甘さは許されない。「勝利からしか学ぶことはない」という厳しさで、人によっては反則すれすれのプレーも辞さず、その執念こそがアルゼンチンサッカーの神髄だ。

 特筆すべき点は、メッシが「アルゼンチン人としてこうあるべき」という人格を、海を渡った時点でほぼ形成していた点だろう。何かあった時、立ち戻るべきは「アルゼンチン的必勝」の論理だった。彼はアルゼンチン的な生活様式を大きく崩さず、家族や友人と集まってバーベキューでは肉をたらふく食べた。

 特記すべきは、メッシが適応に躍起になっていなかった点だろう。あくまでアルゼンチン人として、勝つために技術を習得し、改善。その上で、バルサのプレースタイルに自分をアジャストさせ、革新させたのだ。

 日本人はその点、大人になるのがやや時間がかかる。日本は平和なのもあるが、子供時代に「日本人とは」を考えさせられることが少ない。自己主張そのものが控えめで、それが日本的でもあるのだが、自分という人間について掘り下げる機会が限られているのだ。

 事実として、無数の日本人少年が海を渡ってトライしたが、ことごとく現地でプロ契約をつかめず、挫折している。

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小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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