バスケでも社会でも大切な「思いやる心」 元日本代表が気仙沼で伝えたこと
渡邉氏が気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館を訪問「後世に伝えていかないと」
1時間半のクリニックを終えたところで、遠隔指導に参加する15人の子供たちが夢達成ノートに「わたしの将来の夢」「未来のわたしの町をどうしたい?」「半年後の約束」を記入。1人1人が渡邉氏の前で元気よく発表した。「将来の夢」として4人が「プロバスケット選手」と答えたのに対し、「プロバスケットの動画を配信する人」という現代ならではの夢や、「パティシエ」「鉱物を掘る人」などバラエティに富んだ夢が飛び出した。また、「半年後の約束」としては「3ポイントを必ず決められるようになりたい」「少しでもチームに貢献できるようになりたい」「1試合で20点以上取りたい」「いろいろな技を使ってディフェンスをしたい」と、各自が具体的な目標を掲げた。
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15人の発表を頷きながら聞き入った渡邉氏は「バスケは1人ではできないスポーツ。チームメートのことを考えながらプレーすることが大切です。これは普段の生活でも一緒。相手の嫌がることはやらない、相手を思いやるという心は、将来必ず生きてきます。半年間、みんなで成長できるように頑張りましょう」とエールを送った。
子供たちと半年後の再会を約束して別れた渡邉氏が帰路に就く前に立ち寄った場所がある。それが気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館だ。2011年に発生した東日本大震災による大津波と大規模な火災は1143人の命を奪い、212人の行方不明者を出すなど、気仙沼の街に悲劇をもたらした。多くの被災者を出した波路上地区で被災したままの姿をとどめる県立気仙沼向洋高等学校の校舎を遺構として保存。震災の記憶と記録を残しつつ、防災の課題と教訓を未来に伝えるために一般公開されている。
大津波が気仙沼の街を飲み込む瞬間の映像、破壊された校舎、校舎3階に残る流されてきた車などを真剣な眼差しで見つめた渡邉氏。「震災の痕跡がここまで残る場所もなかなかない。震災の記憶がない子供たちが増える中、経験者として僕たちが後世にしっかり伝えていかなければならないと改めて思いました」と言葉に力を込めた。
被災地の子供たちが持つ何かに取り組みたい気持ち、そして夢を追う環境をサポートするために始まった「東北『夢』応援プログラム」。震災発生から10年目の今年、渡邉氏が気仙沼へ導かれ、遺構で想いを新たにしたのは偶然ではなく、必然だったのかもしれない。
(THE ANSWER編集部・佐藤 直子 / Naoko Sato)