たった「0.17点差」で五輪を逃した中野友加里 3年間引きずった2009年12月27日の記憶
今に生きるあの日の経験「五輪に行けなかったことによって…」
心に負った傷は、なかなか癒えなかった。前を向くまでに要した時間は「3年くらいですかね」と中野さん。「直後はいろんなことを引きずっていたし、バンクーバー五輪も映像で見られたのは1か月経ってからでした」と振り返る。
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「姉が全日本選手権のプロトコル(採点の詳細)を見てくれて、演技構成点が(2位と)同点だったと聞いたんです。だとしたら(勝敗を分けたのは)技術点しかない。技術点でのミスは私のミス。スピンで取りこぼしたり、ジャンプを自分で変えてしまったりをずっと引きずって……。自分でプロトコルを見られたのは1年後。分かっていたから、見たくなかった。現実を直視したくなかったんです」
転機になったのは2014年ソチ五輪。フジテレビに入社し、スポーツ局に勤務した中野さんは記者として大会を取材することに。本当は最初はまともに見られるか不安だったが、仕事の使命があると不思議と受け入れることができた。
これほどまでに、五輪とはアスリートにとって重いものである。
今年もGPシリーズが始まり、男女とも3枠を争う戦いが始まる。男子は五輪3連覇の偉業がかかる羽生結弦、平昌五輪銀メダルの宇野昌磨を中心に2大会連続代表を目指す田中刑事、若手の鍵山優真、佐藤駿らに期待が集まる。女子は全日本選手権2連覇中の紀平梨花、前回の平昌五輪代表である宮原知子、坂本花織に、世界選手権銀メダルの経験を持つ樋口新葉ら実力者も揃う。
あれから11年の時が経ち、36歳になった中野さん。2児の母になり、フジテレビを2019年に退社し、現在は競技の解説から審判員まで幅広い活動で銀盤に携わっている。「0.17」で人生が変わったあの冬の経験は、今にどう生きているのか。
「すごく長いスパンですが、今、私は主人と出会って、結婚して、子供を授かって……。もしかしたら五輪に行くことによって、そういう人生が歩めなかったかもしれないと思うことがあるんです。何かのオファーを頂いて、他の道が生まれたかもしれない。でも、五輪に行けなかったことによって、主人と出会って結婚ができて子供に恵まれたっていうのがあるかもしれない。そこで今、自分が幸せだなと思うようになりました」
その声色は、明るい。決して、負け惜しみのような類ではない。
「もちろん、五輪に出て喜べるに越したことはないですが、『私、五輪代表です!』なんて言って、もっとわがままになったかもしれない。いろんなものがそぎ落とされた状態で、会社にも入り、いろんなことを学び、今の自分につながっているので。人生をトータルで長い目で見てみると、五輪代表になれなかったことを受け入れることができた。だから、あの経験が必要じゃなかったとは、今になっても言い切れないものです」
幼き日に夢見て、憧れ、追いかけながら、たった「0.17点差」で逃した五輪。そんな経験をしたスケーターはそういないだろう。だから、中野さんは今、五輪を目指して戦う選手たちに伝えたいことがある。
(27日掲載の後編へ続く)
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)