ラグビー界の“鉄人”大野均が繋ぐ「スポーツと福島」 震災から10年の今できること
福島を拠点とするスポーツチームで団体設立の夢「当事者意識や共通の想いがあれば」
東日本大震災から10年が経ち、復興の気運は徐々に風化しつつある。だが、被害に遭った地域ではまだ立ち入り禁止地区があったり、風評被害を受けていたり、今なお震災の事実や復興と隣り合わせの生活が続く。福島県郡山市出身の大野さんは、現役時代に所属した東芝ブレイブルーパス東京を通じて復興支援に携わってきたが、さらに一歩踏み込んだ支援が必要だと実感。そこで福島県を本拠地とするプロスポーツチームで団体を作り、競技の垣根を越えて結束し、福島を盛り上げる戦略を立てた。
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「スポーツと社会貢献を掛け合わせたグランドデザインを考える時、やっぱり自分の福島に対する強い思いがありました。福島や東北に対して、まだまだ何かできることがある。そう考えてたどり着いたグランドデザインです。震災復興と言っても、地域や分野によって震災以前の状態に戻っているところと、まだまだ支援が必要なところに分かれています。軽々しく一括りにはできないと感じたので、ラーニングアドバイザーの方にも助言をいただきながら、いろいろな方に話を聞きまとめてみました」
大野さんが引退を発表したのは2020年5月。コロナ禍による混乱の只中で、福島へはなかなか帰れない。そこで福島のリアルな声を聞くべく、バスケットボールB2リーグの福島ファイヤーボンズの西田創さん(代表取締役社長)とサッカーJ3リーグの福島ユナイテッドFCの鈴木勇人さん(代表取締役社長)に話を聞いたという。ファイヤーボンズではチャリティーマッチや募金活動を行ったり、福島ユナイテッドFCでは風評被害払拭を目的に始まった農業活動が、いまや選手・スタッフ自らが生育から収穫、販売までを行ったり、それぞれに有意義な活動を実施している。他のスポーツチームも「福島のために」という想いを持って活動しているという話を聞けば聞くほど、福島のスポーツ界として一つにまとまる必要性を感じたという。
ただ、福島に限らず、スポーツチームが競技の枠を超えて団結するには越えなければならない壁が多く、人知れず頓挫した試みは多い。それでも大野さんは「福島を拠点に活動する選手たちは福島の人たちの温かさを身近に感じていると思う。応援してくれる人たちのために何かしたい。福島が抱えている問題は自分たちの問題でもある。そういう当事者意識や共通の想いがあれば実現できると思います」と声を大にする。
仮に団体を設立したら、スポンサーを募った合同スポーツイベントを開催するだけではなく、地元企業への貢献として選手やトレーナーがチーフ・ヘルスケア・オフィサー(CHO)として従業員の健康維持向上をサポートする想定もしている。また、合同スポーツイベントでは子どもたちが秘める才能を発掘する機会を設け、福島独自のアスリート育成システムを構築したい考えもある。