軽々しく「得意技」と言ってはダメ― 柔道金メダリストが語るこだわりとは
アジア人史上初となる五輪3連覇の偉業を成し遂げた柔道家・野村忠宏さん。名選手は多彩な技を仕掛けると同時に、得意の背負い投げで一本勝ちを連発したこともあって「得意技」について強いこだわりがある。
五輪3連覇の偉業達成した野村忠宏さん、「得意技」への強いこだわり
アジア人史上初となる五輪3連覇の偉業を成し遂げた柔道家・野村忠宏さん。中学、高校と無名ながら大学時代に急成長を遂げ、1996年アトランタ五輪の男子60キロ級で金メダルを獲得。その後、2000年シドニー大会、2004年アテネ大会と勝ち続けた。そんな名選手は多彩な技を仕掛けると同時に、得意の背負い投げで一本勝ちを連発したこともあって「得意技」について強いこだわりがある。
中学時代の公式戦初戦で女子選手に敗れるなど、当初は思うような結果が残せなかった野村さん。名門・天理高に進学する際は同校で柔道部監督を務めていた父・基次さんから「無理して柔道を続けなくてもいい」と言われたこともあった。
苦しんだ10代。その状況でなぜ柔道を続けられたのだろうか。そこには背負い投げという“原点”があったのだという。
「柔道を続ける上での喜びの一つは背負い投げだったんです。道場を開いていた祖父に最初に教えてもらった技だったということと、試合で到底勝てそうもない相手を投げられたから、なんです。大好きな背負い投げを信じて、真剣に磨き続ければいつかすごい選手になれるんじゃないかと思っていました」
中学入学時の体重はわずか30キロ台、高校入学時も43キロと線の細いままだった野村さんは、稽古中に「100キロくらいの相手と打ち合いや乱取りをすること」も珍しくなかったという。圧倒的な体格差に苦しむことも多い中で、背負い投げを磨き続けることこそが自身の存在意義を証明することにつながると考えていたのかもしれない。