なぜアスリートはこの社会に必要なのか 羽根田卓也が信じる「全人類で絶対無二」の価値
多くの感動と熱狂をもたらした東京五輪。日本は史上最多となる58個のメダルを獲得した。多くのヒーローが生まれ、一躍、メディアの注目の的に。しかし、その陰では、同じように自国開催に懸けながらメダルに届かず、大会を去った選手はそれ以上に存在している。「THE ANSWER」は彼らの挑戦にスポットを当てた連載「東京五輪 もう一つのストーリー」をスタート。夢舞台を戦い抜いた今の、それぞれの想いに迫る。
連載「東京五輪 もう一つのストーリー」第1回 カヌー羽根田卓也・後編
多くの感動と熱狂をもたらした東京五輪。日本は史上最多となる58個のメダルを獲得した。多くのヒーローが生まれ、一躍、メディアの注目の的に。しかし、その陰では、同じように自国開催に懸けながらメダルに届かず、大会を去った選手はそれ以上に存在している。「THE ANSWER」は彼らの挑戦にスポットを当てた連載「東京五輪 もう一つのストーリー」をスタート。夢舞台を戦い抜いた今の、それぞれの想いに迫る。
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第1回はカヌーのスラローム男子カナディアンシングル10位だった34歳・羽根田卓也(ミキハウス)だ。大会後、初めて取材を受けたというリオ五輪銅メダリスト。後編は東京五輪の開催を巡り、世論が揺れる中で抱えていた想い。そして、かつての自身と同じように一躍、スポットライトを浴びる存在となった後輩メダリスト、アスリートたちの未来に対する願いを明かした。(取材・文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
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東京五輪は過去に例を見ない大会になった。感染症の蔓延、1年間の大会延期、競技は無観客。開催を巡る一つ一つの判断に世論は揺れた。
もちろん、アスリートに非はない。憎むべきはウイルスであるはず。しかし、一部の国民の目が、いつのまにか「スポーツ」「五輪」に向き出した。「開催意義」という言葉が、これほど飛び交った五輪はない。大会に出場する当事者は、どんな想いを抱えていたのか。
大会が終わった今、羽根田は「自分の中で寂しいなという想いは、正直、ありました」と明かす。
「僕は東京五輪が大好きで、開催が決まった瞬間から楽しみにしていた夢の舞台。それは多くの皆さんも同じはずでした。8年間、東京五輪の報道が毎日のようにあって、準備して、楽しみだった五輪がいつの間にか、皆さんの不安の対象になっていった。それが、凄く寂しくて。いろんなものと一緒くたにされ、スポーツや五輪がそもそも元凶という雰囲気も一時期あったので、自分の大切なものが誤解されるような感情もありました」
言うまでもなく、その言葉は社会を支える人たちへの感謝があってのこと。
「そんな中でもコロナ禍で自分の練習姿などを通して、一部の人ですが、決してスポーツはそういうものではなく、前向きで、明るくて、良いエネルギーをもらえるものだと少しずつSNSで発信し、理解してもらうことができました。きっと開催されれば、感動してくれる人がいると思ったし、実際に本来の五輪やスポーツの素晴らしさを思い出してもらえたはず。だから、こうやって五輪が開催できたことには、本当に感謝しています」
ここから、インタビューは「スポーツの価値」を考えるものになった。羽根田が10代でスロバキアに単身で渡り、スポンサー獲得のために企業に手紙を送ったのも有名な話。カヌー初の日本人メダリストとなり、顔が知られるようになって以降は競技の第一人者として広告塔を担ってきた。
難しい状況で開催された大会で、自らが残せたものがあるとするなら何か。「僕の競技はスタートして、100秒漕いで終わりという競技。演技の一本ごとにいろんな表情があるものでもない」と言い、続けて興味深い独自のスポーツ哲学を明かした。
「スポーツや五輪はパフォーマンスを見る場でもありますが、選手の生き様やストーリーを見る場だと思います。競技自体も面白いですが、僕が感動するのはインタビュー。その選手はどんな想いで、どんな生き方をしてきたか。インタビューが生き様を語る。競技や大会は過程であり、正直、誰がメダルを獲ったか、予選落ちしたかはそんなに気にしません。それより何を喋るのか、どんな振る舞いするんだろうと注目しています」
その上で「みんな感動しましたけど、一番感動したのは……」と自ら切り出し、名前を挙げた選手がいる。