松田直樹十周忌 「明日、みんな金髪で集合な」で人生初めて髪を染めた中村俊輔の追憶
今、天国に送る言葉「焼肉連れていってください」
しかし松田はその2010年限りで横浜F・マリノスを契約満了となり、2011年からは当時JFL所属の松本山雅FCへ。
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新たなスタートを切った矢先の8月2日、松本市内のグラウンドで倒れてしまう。
「あの日のことは鮮明に覚えています。午前中の練習が終わってすぐにマツさんが倒れたという話を聞いて、すぐに車で松本へ向かいました。病院に行った後、佐藤由紀彦さんや城さんとマツさんが住んでいた部屋に行ったんです。そうしたら意外なことに、明日の練習の時間や場所などをカレンダーに細かく書いていて。まさか自分の部屋に入られるとは思っていなかったはずだから、恥ずかしい思いをさせてしまいました」
倒れた2日後の2011年8月4日、松田は帰らぬ人となった。
数日後、葬儀に参列しても実感が湧かない。唐突に携帯電話が鳴った時は、松田の登録名が表記される気がしてしまう。
「棺に入っているマツさんは笑っていました。僕が海外でプレーしていた時期はあまり会っていなかったこともあって、今もそういう感覚なんです。だから突然、『シュン、メシに行くぞ』って電話がかかってくるような気がしてならない」
以降はことあるごとに松田の記憶や思い出話に花を咲かせてきた。湿っぽくなるのかと思いきや、いつも笑い話で盛り上がるという。
松田はそういう人間だった。
「今もそうだけど、マツさんの話をしても悲しい雰囲気にはならない。それは自分も含めて、それぞれの人に残した影響が大きいからであって、記憶の中に生き続けているから。みんながいる前でよく『こいつだけはサッカーで尊敬できるんだ』と言われました。僕はマツさんにたくさんのことを教わったけれど、もしマツさんも僕のサッカー観や生き方から何かを得てくれていたなら光栄です」
そんな中村が十周忌に松田へ送るメッセージとは。
ほんの少しだけ間を取って考えたが、思いついたのはいつも一緒に食べていたあの味だった。
「マツさんは僕に対してダメ出しすることが一切なかったので、アドバイスをくださいと言っても『お前、この年齢まで現役を続けていてすごいよ』みたいなことしか言わないでしょうね。それが分かっているから、ただマツさんと一緒にご飯が食べたい。だからメッセージは『焼肉連れていってください』です」
(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)