1964年東京五輪の最終走者知ってる? 政治にも翻弄された聖火リレーの歴史【前編】
相次ぐボイコット、そしてテロにも直面したオリンピック
1972年のミュンヘンオリンピックでは悲惨なテロ事件が起きた。
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オリンピックの選手村にパレスチナのテロリスト組織「黒い九月」のメンバー8名が侵入。犯人グループはイスラエル選手団居住フロアに侵入し、抵抗した2名を殺害し、9名を人質に取り立て籠もった。犯人グループの要求は、イスラエルに収監されている政治犯234名を解放することだった。開催国の西ドイツは、犯人グループを武力で排除。イスラエルではオリンピックの中止を求めるデモも起きたが、オリンピック・スタジアムで8万人の観衆を集めて、イスラエル選手団の追悼式が行われ、オリンピックは34時間ぶりに再開された。
1976年のモントリオールオリンピックではアフリカ諸国がボイコット。
黒人差別政策(アパルトヘイト)を行っていた南アフリカ問題が深刻化していたため、アフリカの22か国がボイコットした。
1980年のモスクワオリンピックでは、日本を含む西側諸国がボイコット。
冷戦でソ連と対立するアメリカ合衆国は大会不参加を決めていたが、前年1979年12月に起きたソ連のアフガニスタン侵攻を問題視し、西側諸国に集団ボイコットを募った。その結果50カ国近くが不参加になり、開催国のソ連が80個の金メダルを獲得し、偏った大会となった。
1984年のロサンゼルスオリンピックは、ソ連を中心とした東欧諸国がボイコット。
前回ソ連が開催国であった大会に、招待していたのにボイコットしたことへの「報復措置」として15か国が不参加となった。開催国のアメリカが83の金メダルを獲得し、オリンピックの世界一のアスリートを決める大会という趣旨が失われた。
1988年のソウルオリンピックは4大会ぶりにボイコットの無い大会となった。
最終聖火ランナーとなった孫基禎さんは、1936年のベルリン・オリンピックでアジア地域出身初のマラソンで金メダルを獲得した人物となった。だが36年当時孫さんの祖国韓国は、日本統治時代だったため、韓国人としてオリンピックに出場することが出来ず、日本人として出場している。孫さんにとっては武力で占領された国に対して好意的な感情は無かった様で、表彰式でも「なぜ君が代が自分にとっての国歌なのか」と涙ぐんだり、ベルリン滞在中にサインを求められて「KOREA」と記したりしていた。
孫さんにとっては、日本人として金メダルを取り、日本の価値を高める行為に、自分が関わったことに納得が行かなかったのだろう。
ソウルオリンピックで孫さんは、誰よりも最初に開会式でメインスタジアムに走って入ってきた。52年前に金メダルを獲った時の様に、大歓声を浴びながら、今度は韓国の国旗を胸につけ、満面の笑顔で、聖火を片手に、メイントラックを駆け抜けた。日本統治下で、日本人として金メダルを取ったことの悔しさを52年後のソウルリンピックで晴らしたことになる。日本人選手団も、孫さんに惜しみない拍手を送った。
(江頭 満正 / Mitsumasa Eto)