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「障がい者スポーツと医療を繋ぐ」 パラアスリート瀬立モニカが描く東京パラの先

カヌー選手としてプレーしながら、医療の道へ背中を押した二つの出来事とは【写真提供:一般社団法人 ILC】
カヌー選手としてプレーしながら、医療の道へ背中を押した二つの出来事とは【写真提供:一般社団法人 ILC】

子どもの頃から憧れた医療従事者という職業 背中を押した二つの出来事

 きっかけは両親にある。父が医者で、母は看護師。身近に医療従事者がいる環境で育ち、「自分もなりたいという漠然とした夢がありました」と振り返る。実際にはカヌーを究める道を選び、そのためにもしっかりスポーツを学びたいと筑波大学体育専門学群に進学。科学的な視点からスポーツを研究するが、心の片隅には常に幼い頃からの夢があった。

 医者になりたいという気持ちを後押しする出来事もあった。その一つが、高校1年の時、体育の授業中に起きた事故での出会いだった。カヌー選手として2013年の東京国体出場を目指していたが、倒立前転で体勢を崩して頭から落下。脊椎を損傷し、車いす生活となった。目の前が真っ暗になる思いだったが、車いすでの復学を高校に掛け合ったり、前向きな声掛けをしてくれる存在があった。

「主治医の先生がとてもいい方で、生きる夢や希望を与えてくれるような方でした。その先生のおかげもあって、自分が腐らずに前を向いて進むことができたので、自分もそういうドクターになりたいと思いました」

 もう一つが、リオデジャネイロパラリンピックだ。この時、日本代表選手団に同行した医師の一人が、筑波大学附属病院に勤める羽田康司医師だった。同じ筑波大学所属ということもあり親近感を覚えた羽田医師が、選手村で活躍する姿を目の当たりにし、「ドクターの立場からスポーツを支える姿がすごく格好いいと思いました」。スポーツをする立場ではなく、見る立場でもなく、「支える立場という視点からスポーツを見ることができて、とても興味深かったです」と感じると同時に、現役を終えた後の目標が具体的に見えてきた。

「スポーツドクターはたくさんいても、自分で障がいを持つスポーツドクターって今まで聞いたことがないんです。なので、私が草分け的存在になれたら、もっと日本の障がい者スポーツが発展するお手伝いをできるんじゃないかと思っています。パイオニアになれたら、と」

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