川口能活×中村俊輔vol.1 「天狗」になった“あの時代”から学んだこと
天狗、勘違い…ユースに上がれず「坊主でもなんでもいい!」と思った中村の高校選択
中村「僕も同じです。中1から試合に出ていたのに、監督に言い返したり、不満をぶつけたり、ふてくされていたりしていたら、中3でスタメン落ちやベンチにも入れない選手になってしまった。で、ユースにも上がれなくなり、そこでハッと天狗になっていたことに気づきましたね。クラブチームは勝ち進めば冬まで大会があるのに、僕の学年では早々に負けて、夏で終わってしまったんです。それから高校に入学するまでの約半年間、一人で練習を積むしかなくなってしまった」
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――監督からは何も指摘をされなかった?
中村「なかったですね。天狗にでもなれば、監督にガツンと怒られてもおかしくない時代だったのに。後に当時のコーチに聞いてみたら、自分自身で気づいてほしいから、あえて何も言わなかったそうです。ただ、この経験のおかげで、勘違いをしていた自分やサッカーと向き合えたし、挫折しても自分の力で努力して、這い上がる力が身につきましたね。でも、上の(ユース)チームに上がれない、とわかったときは頭が真っ白になりましたよ。プロを目指していたし、『この先、どうなるんだろう』って」
川口「やっぱり、すごいな。僕がその年齢の頃は、プロになろうなんて微塵も考えていなかった」
――川口選手は中学を卒業後、全国でも強豪校だった清水商(現清水桜が丘)に進学されます。
川口「僕は最初、サッカーの強豪であり、進学校でもある清水東を目指して猛勉強をしていたんです。でも、中3の夏にケガをして、一気に勉強のモチベーションも下がってしまった。そんなとき、清商サッカー部の大滝雅良先生から医者を紹介していただき、その縁で清商への進学を決めました。俊が桐光学園(神奈川)に決めた理由は?」
中村「中3の頃、タイミング良くクラブチームでプレーしていた選手も高校の推薦枠に入れる流れがあって、桐光や神奈川の他校から声を掛けてもらったんです。東京の強豪校からも誘われたけど、雨でセレクションが中止になったので、神奈川県内の高校から選ぶことに。最終的な決め手は尊敬する先輩が2人いたので桐光に決めました。当時の僕は、本当にゼロの状態。どこでもいいからサッカーを続けたいし、新たに一個一個、積み上げていこうという気持ちだった。もし、東京の強豪校に入学したら1年生の間は坊主だとわかっていたけど(笑)、サッカーができて、高校にも進学できるなら『坊主でもなんでもいい!』って気持ちでしたね」