部活動の“理不尽”をどう乗り越えたのか 小林祐三は「その先の自分を想像した」
小学生時代のいじめの経験が理不尽を乗り越えさせた
親元を離れて静岡という見知らぬ土地へやってきたのが中学3年生の終わり。プロサッカー選手を夢見た小林少年に迷いはなかった。だからどんなに厳しい練習にも耐えられたし、今の時代ではあまり考えられない理不尽も受け入れることができた。
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「もしサッカー部をやめたとしたら、僕は他にプロになるための道筋を描けませんでした。他に道が思い描けていたら、そちらに進んでいたかもしれない。そこでプロになる夢をあきらめるのであれば、その道を教えてくれたということで理不尽にも意味があったということ。だから襲い掛かっている理不尽の意味を考えて、乗り越えた先の自分を想像することが大事だと思います」
成人し、社会人になってからであれば“選択”の余地が生まれる。たとえば、転職もそのひとつだろう。しかしまだ15歳の少年に選択肢は皆無に等しい。
小林少年が理不尽に耐え、乗り越えられた理由がある。それは小学校時代に遡り、ある出来事がきっかけだった。
「小学校3年生の時にクラスでいじめられていたんです。物理的に過激なものではなく、仲間外れにされてしまうような精神的なことでした。友達と良い関係を築けなくて、学校にも行きたくなかった。でも僕にはサッカーがありました。土日に活動するサッカークラブは楽しかったし、チームメイトに救われました。つまり別のコミュニティのおかげでいじめという理不尽を乗り越えることができたんです」
年齢を重ねて35歳となり、昨年12月にプロサッカー選手を引退した。今年1月からはクリアソン新宿の一員として新たな生活をスタートさせたが、今でもつながりがあって連絡を取り合うのは当時のサッカー仲間たちだ。そしてJリーグの世界から退く決意を最も寂しがり、惜しんでくれたのも、厳しい高校3年間をともに駆け抜けた静岡学園の戦友たちだった。
「僕はチームメートや指導者に恵まれてここまでやってくることができました。本当に運が良かったと思います。彼らは僕のキャリアを喜んでくれて、試合に応援に来てくれたり、結果をチェックして連絡してきてくれました。それは僕にとっての宝物で、理不尽が生んでくれた関係性とも言えるかもしれません。プロサッカー選手をやめる決意をした時は彼らから託された襷を置く感覚になって、それは少しだけ申し訳ない気持ちになりました」