11月まで部活動→国立大合格 元日本代表DFが説く文武両道「要はやるか、やらないか」
“引退”と位置付けた国体を怪我で欠場 不完全燃焼で揺れ動いた気持ち
全国大会に進むレベルではなかった岩国高校サッカー部は、冬の高校サッカー選手権大会の本戦には出られない。そこで「大学までサッカーを続けない僕らにとっては最後の大舞台」と位置付けた10月の国体(国民体育大会)を、岩政氏は選手としての最終目標に掲げた。
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「当時の国体は高校3年生が出場する大会だったので、県選抜に選ばれ続けて、国体に出たい! と思っていました。Jリーガーになった今思えば、なんであんなに国体を目指していたのか分からなくなりますけど(笑)。それでも当時は、国体のメンバーに入るということはすごいことだったんです。だからそこを目指して、高校3年間サッカーをやり切るつもりでした。順調に進んで、最後、国体のメンバーに選ばれて……」
しかし、アクシデントが岩政氏を襲う。国体に出発する2日前だった。第五中足骨を骨折し、国体には出られなくなってしまった。「怪我をしてからの数週間の記憶がほとんどない」。そう語るほど、ショックは大きかった。
諦められなかった岩政氏は、国体の2週間後に始まった選手権予選でスパイクのなかでギプスをはめたまま試合に出た。「スタメンで出させてくれ」と懇願したが、さすがにそれは叶わず。「すごく痛かった」が、なんとか最後の10分間に出場した。
サッカー選手としての最後の試合は、選手権予選の2回戦だった。土日で、2回戦と3回戦が組まれており、2回戦で負けたら、翌日に開催される模試を受けなければいけなかった。勝てば、模試には行かなくていい。しかし、チームは2回戦で敗戦。翌日の模試に行かなければいけなくなった。「引退と思っていた区切りが、そういう形で終わって……」。消化不良を抱えたまま、翌日の日曜日、岩政氏は両親の車で模試を受けに岩国高校まで行った。しかし、岩政氏は模試を“初めて”サボった。
「校門をまたいだけど、何を思ったか、模試をサボったんです。人生で一度もサボったことなんてなかったのに。両親にも言っていなかったことですけど、1日中、岩国の町を徘徊して、模試が終わる頃にまた高校に戻ってきたんです」
そして、大学でサッカーを続けることを両親に伝えた。
そこから2週間、岩政家では家族会議が始まった。岩政氏自身も、毎日のように気持ちが揺れ動いたという。別にJリーガーになるわけでもないのに、そこまでして何でわざわざ大学でサッカーを続けるのか。ここまでずっとサッカーをやってきたのに、こんな不完全燃焼のままで終わっていいのか。そんな相反する気持ちが毎日行ったり来たりしていた。
最終的には、「サッカーをもう一回、本気でやってみたい」「国体で味わうはずだった全国を味わわずにやめることはできない」と急遽、11月に進路を変更した。