【One Rugbyの絆】聴覚を頼りにボールを繋ぐ ブラインドラグビーがぶち壊す「先入観」という壁
神谷さんが伝えたい「もっと僕たちにもできることはいっぱいあるんだよ」
神谷さんがブラインドラグビーに出会ったのは2019年。ラグビーW杯の開催に合わせて、イングランドから講師が来日した時だった。そもそも、視覚障がい者でラグビーのプレー経験を持つ人は少ない。ラグビーのように走りながらボールをキャッチし、パスするという動きは、視覚障がい者には難しいとされてきたからだ。だが、神谷さんは中学・高校と晴眼者と一緒にラグビーに明け暮れる日々を送った。
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視覚障がい者が通う大学に進んだ神谷さんは、一旦ラグビーから離れ、ブラインドサッカーなどをプレーしていた。社会人になってからも再びラグビーに触れる機会はほとんどなかったが、ブラインドラグビーを日本に広めようという活動が始まると、ブラインドサッカー仲間を通じて「ぜひ普及に携わってほしい」という声がかかった。
大学時代、多くの視覚障がい者と知り合った時、「もっと僕たちにもできることはいっぱいあるんだよ、ということをスポーツやラグビーを通じて伝えられたらと、ずっと心の中で思っていました」という神谷さんにとって、またとないオファーだった。ラグビーのような体と体をぶつけあうスポーツは、視覚障がい者にとって危険だと踏み込めない気持ちも分かる。だから、コンタクトの少ないブラインドラグビーが誕生したと聞いた時は「また、あのフィールドでボールを持って走れる」と、驚きよりもうれしさが勝ったという。
神谷さんは、ラグビーとの出会いは「人生を変えましたね」と、大きな笑顔を浮かべながら力強く言い切る。では、神谷さんはどうしてここまでラグビーに惹きつけられたのだろう。
「育った街が花園ラグビー場のすぐ近くで、ラグビーが近い存在ではありました。ただ、小学生の時は子どもなので、親も危ないことから守ろうという環境があったんです。そんな中、小学校卒業の時に友人とラグビーのまねっこをした時、昔から体は大きかったので、目は見えなくてもボールを持てば相手を飛ばして点が取れる、活躍できるんだって、初めて感じたんですね。それまでバスケットや球技をやっても、ボールが取れない、活躍できない悔しさがあって。だから『僕、これを命懸けてでもやりたいな』くらいに思ってしまったんです(笑)。
それで中学に入って、自分が本気でやりたいことを見つけることを学びました。中学ラグビーは12人制なんですけど、高校では15人制になり、同じ大きさのフィールドでも、大きな変化がありました。音で判断する僕にとって、人数が増えると耳に入る情報が増えて、どこにボールがあるか分からない。そんな初めての感覚を味わいましたが、この時助けてくれたのがチームの仲間です。仲間の大切さ、みんなで力を合わせて何かを成し遂げることを学びました。ラグビーを通して、スポーツの楽しさはもちろん、人として大切なことを学んだという感覚は大きいですね」
日本でのラグビー普及に携わるようになった神谷さんは、日本代表チームで主将を務めることにもなった。2019年1月に日本で初めて行われた体験会から、わずか4か月後には日本代表セレクションを実施。10月14日には熊谷ラグビー場を舞台に、日本代表とイングランド代表による国際テストマッチが開催された。もちろん、急ピッチで結成された日本代表はラグビー未経験者の集まりだった。
「視覚障がい者スポーツをしている人は多かったんですが、ラグビーに関しては本当に初心者。ラグビーがどういうスポーツかというところから教えていきました」