【One Rugbyの絆】タックルのないラグビー 究極のスポーツマンシップで成り立つ「タッチラグビー」の魅力
タッチラグビーが持つ魅力とは「マトリックスの世界じゃないですけど…」
小中高と野球に熱中した奈良さんがタッチラグビーに出会ったのは、日本体育大学に入学した時のこと。校内で見かけたタッチラグビーのポスターに目が留まったという。野球一筋で突っ走ってきただけに「実はちょっと女子受けしそうなダブルダッチとかにも惹かれていました」と笑うが、ポスターに書かれた「日本代表になりませんか?」の文字に「すごく惹かれました」と振り返る。同じ大学に通う兄のクラスメートに、タッチラグビー部の主将がいた偶然も重なり、導かれるようにタッチラグビーの世界に足を踏み入れた。
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始めるやいなや、競技の魅力に取り憑かれた。「タッチされるかされないか。マトリックスの世界じゃないですけど、躱した瞬間の快感とか、触られずに抜けきってトライを取るとか。あと、ラグビーと一緒で、みんなで1つのボールを繋いでトライを取りにいくところが魅力ですね」と笑顔は尽きない。
それから18年。37歳を迎えた今も日本代表として活躍し、2015年には日本初のタッチラグビースクール「町田ゼルビアBLUES」を設立し、小学生を中心に競技を指導。「飽き性の僕がここまで続けているなんて、タッチラグビーは相当大きい存在。今ではタッチラグビーが生活の中心にあって、そこから派生していろいろな繋がりが生まれています」と話す。
奈良さんにとってタッチラグビーとは「自分が輝くことができる1つのツールであると同時に、自分が誰かを笑顔にできるツールの1つでもある」という。それに気付かされたのが、2013年に出掛けた「タッチラグビー世界ツアー」だった。
30歳の節目を迎えた奈良さんは当時、自分の将来に漠然とした不安を抱き、楽しかったはずのタッチラグビーさえ楽しめなくなっていた。「ポジティブで挫折がなさそうに思われがちなんですけど、自分の中では苦しくて苦しくて、つい仕事に行くのとは逆方向の電車に乗ったこともあります」。そんな時に出会った、家族で世界一周する様子を収めたフォトエッセイに背中を押されて一念発起。「人生は一度きり。後悔はしない方がいい」と仕事を辞め、アジア、オセアニア、ヨーロッパなど23か国を旅した。
「自分の芯を作ってくれた旅だった」という世界ツアーでは、インドや東南アジアで貧富の差に触れ、自分が送る恵まれた生活に深く感謝を覚えた。同時に、各地でコミュニケーションを図るツールとして選んだタッチラグビーが持つ人を繋ぐパワーも実感。「みんなは言葉が通じなくてもタッチラグビーを楽しんでいてくれて、何かを得たことでものすごく生き生きした目を僕には見せてくれた。その時、これが僕ができることだって改めて感じました」と、帰国後はタッチラグビーを軸とした生活を送ることにした。