「子供は大人の夢を叶える道具ではない」 夏の大会中止で考え直すべき「部活」の意義
「子供たちは大人の夢を叶えるための道具ではない」
――高校生に対しては「この2年半の努力は否定されることじゃない。だから、自信を持ってほしい」という励ましも耳にします。自己主張が上手ではなく、自分で自分を認めてあげることが難しい年代でもありますが、どう捉えるべきでしょうか?
「『認める』というより『知る』が大切だと思います。今、悲しいのか、腹が立っているのか、大人たちに何かぶつけたいのか。すごく気になるのは『自己肯定感』という言葉です。ここ数年、流行っていて『自分自身を肯定して、前に進みましょう』という意味合いで用いられますが、学術的には存在しません。ただ、自分を知ろうとした時に答えがない子、どうしたらいいか分からない子は多い。そこで大人に聞いたり、友達と協力したりしながら、答えを探していく高校生が増えてくれたらと思います。こういう状況にならないと、自分について知るきっかけはなかったかもしれないので」
――この期間を子供たちにとって、自分を知り、未来を前向きに考える時間にしてほしいですね。
「今は先が見えないことも多いので、1日1日を大切に過ごしてほしいです。先を見るより、今日、明日くらいを考えながら『今日、楽しかったからOK』『明日も練習できるから嬉しい。今日はごはんを食べて寝よう』とか。そのきっかけを作ってあげられるのは大人です。ですから、子供たちにとってはそのくらいの感覚でいいのではないかと思います」
――今回の夏の大会中止を巡っては「本人以上に保護者ががっかりしている」という指導者の声もあります。子供と二人三脚で頑張ってきたような保護者にとっては落胆も大きいと思います。
「毎日お弁当を作って、試合を応援しに行って“子供を育てた証し”として部活動を楽しみ、一喜一憂してきた保護者の方は多くいらっしゃると思います。その“自分が育てた証し”が確認できなくなったことがつらい、悲しいという感情は理解できます。ただ、大人が可哀想と言うから、子供は可哀想になってしまう。今日一日、おいしいごはんを作ってあげて、子供が試合はなくなったけど、明日も部活に行こうと前向きに思えるように働きかけをしてあげてほしい。『あなたにとって』ではなく『子供たちにとって』という視点で今、何が必要なのかは考えていく必要があると思います」
――確かに、今は私たちメディアを含め、『大会がなくなった子供は可哀想』『だから、大人が手を差し伸べてあげる』というストーリーを正解として多くのことが回っている印象です。しかし、その裏で荒木さんが言うように、子供は意外とあっけらかんとしていたり、あるいは試合会場での感染のリスクを抑えられる、勝利を過剰に求める指導者のプレッシャーから逃れられる、と安心している子供もいるはずです。安易な構図に当てはめる前に、社会としては今、子供たちにどう向き合うべきでしょうか?
「大人が子供たちの未来を創ってあげないといけない時です。けれど、子供のお手本になれないような大人の言動も見聞きしています。例えば『なんでこの学校はもう練習できるのにうちは練習できないんだ』『なんで、隣の高校はあの試合に出に行くらしいけど、うちは出してくれないんだ』とか。コロナのせいにしてチャレンジすることをやめたり、できなくなったことが増えたと文句を言ったりするのではなく、子供たちが前向きに過ごしていけるように大人がお手本となるような言動をしていってほしいと思います。
今、多くの中高生の相談に乗っていると、大人の方がいろんな道具を持ち、挑戦していけるはずが、子供の方がクリエイティブに過ごしている気がします。大人の方が変化を拒み、臨機応変に対応できない。そもそも、自分のためじゃなく、子供たちのためを思った時、本当に正しいのはやはりインターハイや甲子園をなくすことかもしれない。子供たちは大人の夢を叶えるための道具ではないので。今回の出来事が、部活動やスポーツの意義について考えるきっかけになるのではないかと思います」