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【One Rugbyの絆】「違いは生まれてもラグビーはできる」 車いすでも楽しめるラグビーの魅力とは

リハビリ中に迎えた車いすラグビーとの出会い「またこんなに激しいスポーツができるんだ」

 花園ラグビー場のある大阪・東大阪市で生まれ育った三阪さんにとって、ラグビーボールを持つことは自然な選択だった。高校ではラグビー部に入り、憧れの花園を目指したが、3年生の時に練習中の事故で頸椎を損傷。体に麻痺が残る障がいを負い、車いす生活となった。辛い現実があったが、入院してリハビリ生活を送る中で「少し心が前向きになってきた」という。「車いすでも何かスポーツができたら――」。ある日、リハビリを担当する作業療法士にかけたそんな一言が、三阪さんのその後を大きく変えた。

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「その先生に車いすラグビーを紹介してもらいました。障がい者スポーツに積極的に参加されていた先生で、なぜかその当時、海外の車いすラグビーのビデオを持っていて(笑)。そこで初めて車いすラグビーの映像を見ると、グラウンドではなくて体育館だったり、ボールの形が違ったり、車いすに乗っていたり、いろいろな違いはあったんですけど、車いす同士がタックルでぶつかり合うシーンを見た時、『またこんなに激しいスポーツができるんだ』とワクワク感が沸いてきました」

 当時、日本には2、3チームがあったのみ。だが、タイミング良く大阪にも新チームを立ち上げようという話があり、「先生に連れられて行きました」と振り返る。

「やっぱり障がいを持ったことに対してネガティブな想いや外に出る不安はあったので、多分『行っておいで』では行かなかったかもしれません。でも、先生から『一緒に行くから来なさい』くらいの引っ張りがあったおかげで車いすラグビーと出会えました」

 ここからハマるのは速かった。何よりも魅力だったのは「体が不自由になっても激しいスポーツができるということですね」。障がい者スポーツは「リハビリを兼ねていたり、ゆるやかに楽しむイメージがあった」という三阪さんの頭の中は大きくシフトチェンジした。

「障がいを持って社会に戻る中で、バリアフリーの問題だったり、行きたい場所に行けなくなったり、いろいろな壁やつまずきがある。それでも車いすラグビーの練習に行くと、同じ障がいを持つ仲間と何か一つのことにチャレンジできる。その中で共感したり、先輩から障がいを持って生きていくことを教えてもらったり、スポーツに打ち込みながら生きがいを見出せる場所になったんですね」

 最大の転機となったのは、2002年に行ったニュージーランドへの短期留学だった。ニュージーランドと言えば強豪オールブラックスが有名だが車いすラグビーも盛んで、競技専用車いすはニュージーランド製が世界的に大きなシェアを占めているという。知人からニュージーランド留学の話をもらった当初は「知らない国で1人で生活できるのか?」と不安な気持ちもあったが、「日本にいると甘えられる環境があって……」。変わりたいと思う気持ちが、背中を押した。

 決断から3週間後には渡航。「せっかく踏み出した気持ちが後ずさりしないように、とりあえず行きました」と笑うが、当然何も決まっていない。入ったホテルで覚悟を決め、語学学校への入学、クラブチームとの練習参加の交渉、ホームステイ先を選定と、次々と行動に移した。

「時には考えるよりも行動することで物事が動くという経験ができました。人にはお勧めできませんけど(笑)」

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