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【One Rugbyの絆】「違いは生まれてもラグビーはできる」 車いすでも楽しめるラグビーの魅力とは

日本ラグビー界に新たなうねりを起こすべく立ち上がった「NPO法人One Rugby」。元日本代表主将の廣瀬俊朗氏が代表理事を務める団体では、15人制や7人制(セブンズ)、車いすラグビーといった一般になじみのあるものから、10人制ラグビー、デフラグビー、ブラインドラグビー、タッチラグビー、タグフットボール、ビーチラグビーまで、「ラグビー」に分類されるあらゆる競技が協力し、競技の持つ魅力を広く社会に伝えていくことを目的とする。

車いすラグビー・三阪洋行さん【写真:本人提供】
車いすラグビー・三阪洋行さん【写真:本人提供】

「One Rugbyの絆」連載第4回、車いすラグビー・三阪洋行さんに聞く魅力

 日本ラグビー界に新たなうねりを起こすべく立ち上がった「NPO法人One Rugby」。元日本代表主将の廣瀬俊朗氏が代表理事を務める団体では、15人制や7人制(セブンズ)、車いすラグビーといった一般になじみのあるものから、10人制ラグビー、デフラグビー、ブラインドラグビー、タッチラグビー、タグフットボール、ビーチラグビーまで、「ラグビー」に分類されるあらゆる競技が協力し、競技の持つ魅力を広く社会に伝えていくことを目的とする。

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「One for all, all for one」の精神で1つのボールを全員でゴールまで運び、試合終了の笛が鳴れば、敵味方関係なく互いの健闘を称え合う。ダイバーシティ=多様性のスポーツと言われるラグビーが、現代社会に提供できる価値は多い。「THE ANSWER」では、「One Rugby」を通じてラグビー界、そして社会が一つになれることを願い、それぞれのラグビーが持つ魅力を伝える連載「One Rugbyの絆」をお届けしている。

 第4回はパラリンピックの正式種目となっている車いすラグビーだ。ロンドン大会までパラリンピックに3大会連続出場し、リオデジャネイロ大会ではアシスタントコーチとして日本を銅メダルに導いた三阪洋行さんに話を聞く。

 ◇ ◇ ◇

 車いすラグビーは、ラグビー、バスケットボール、バレーボール、アイスホッケーなど要素を組み合わせ、1977年にカナダで始まったスポーツだ。1996年のアトランタパラリンピックで公開競技となり、2000年のシドニー大会から公式競技となった。四肢に障がいを持つ選手が行う競技で、コートでは1チーム4選手がプレーするが選手の交代は何度でも自由。ただし、選手は障がいの程度によって0.5点から3.5点まで0.5刻みでクラス分けされ、コートでプレーする4選手の合計持ち点は8点以下でなければいけない。男女混成競技のため、体格差をカバーするべく女子選手が含まれる場合はチーム合計持ち点に0.5ポイント(女子1名につき)の追加が許される。つまり、最大4名の女子選手が加わればチーム合計持ち点は10点に拡大される形で、平等性が保たれている。

 1ピリオド=8分で第4ピリオドまで行う間に、相手側のトライラインに多くボールを運び込んだチームが勝利。車いす同士のタックルが認められており、競技専用の車いすには、相手の車いすを止めるためのバンパーや、逃れるためのウイングが取り付けられている。激しいぶつかりあいで車いすが転倒することもしばしばで、衝撃で響く金属音が独特の雰囲気を醸し出す。

 日本で車いすラグビーが正式紹介されたのは1996年のこと。翌年には車いすラグビー連盟が設立され、1999年に第1回日本選手権大会を開催。パラリンピックには2004年のアテネ大会から出場している。このアテネ大会から北京、ロンドンと3大会連続出場を果たした三阪さんは、2016年にはリオデジャネイロ大会でアシスタントコーチとして銅メダル獲得に尽力した。

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