「もう、私のような思いをさせたくない」 大山加奈が子供の未来に寄り添い続ける理由
大山さんが描くバレーボールの未来「『子供にやらせたいスポーツ』のNo.1に」
引退を決めたのは26歳。最近では30代の現役選手も少なくないバレーボール界において、あまりに早いコートとの別れだった。その原因になったのが「怪我」。プレーができないことから来る「不安」と「焦り」が関係していた。無理をすれば、同じように競技人生に影響を及ぼす可能性がある。だから、何よりも健康でコートに立ち続けるという願いを、涙とともに高校生に託した。
今回のインタビューをしたのは、その授業後のこと。今、代替大会を企画したり、進路のサポートをしたり、高校生を救おうと多くの大人たちが動いている。私たち、メディアも同じ思いだ。しかし、大山さんのインスタグラムに届いたメッセージのように、大人の「思い」を子供の「重荷」にさせてはいけない。これという正解はない。だから、難しい。だから、頭を悩ませる。
「子供たちのためにやれることは何か」を模索してきた大山さんは「今までは大会を企画して区切りをつけさせてあげることがいいかと思っていたけど、私のもとに届いたような声を聞くと、そうじゃないかもしれないと思わされる」と率直な思いを吐露。その上で「こちらが押し付けるのではなく、ちゃんと彼ら、彼女らが望んでいることを提供してあげられたら」と打ち明けた。
こうした活動も、バレーボール界の普及、発展に対する思いがベースにある。競技の未来を考える上で、まずは子供たちにバレーを選んでもらわないといけない。バレーボールをすると、人として何が育つのか。もちろん、トップ選手になれれば理想だが、大半は進学、就職など、どこかのタイミングで選手に区切りをつける。だから「バレーが成長させること」の視点は大切になる。
聞くと、大山さんは「やっぱり、他人を思いやる心かな」と言った。理由にバレーボールが持つ、一つの競技特性を挙げる。
「バレーボールは一人ではできないスポーツ。もちろん、サッカーもバスケも一人ではできないけど、一人でドリブル、シュートするということは叶う。でも、バレーは絶対に誰かにトスを上げてもらわないとプレーにならない。『つなぐこと』が大きな要素で、とにかく次の人がプレーしやすいようにボールをつないでいく。
その過程で『他人を思いやる心』は育まれる。加えて、ポジションが明確で、役割がはっきりしている。その中もチームに与えられた役割を全うする。それも社会に出ると生きるもの。他の団体スポーツとも共通するかもしれないけど、特にバレーボールはそういうところが社会に出ていく中で生きることだと思います」
自身も最もバレーから教わったという「他人を思いやる心」。今は「他人」の部分を「子供」に置き換え、活動している。今、競技を始めた子供が大人になる頃、バレーボール界はどんな未来を築いていれば幸せに感じるのか。
大山さんは「私の中で目標として掲げているのは、バレーボールを選んでくれた人をすべてに幸せにする、携わる人すべてを幸せにするということ。本当にそういうバレーボール界になっていったらいいし、していかなきゃと思うんです」と思い描いた。
「今はチーム競技が敬遠される風潮があります。特に昔からスパルタ、練習が長いというマイナスなイメージがついてしまったバレーボールはそういう印象を払拭しないと、子供がやりたいと思わないし、親御さんがやらせたいと思わない。最近見た『子供にやらせたいスポーツ』で10位に入っていなかった。それが本当にショックな一方で、『そうだよな』とも思う部分もあるんです」
だからこそ、続けて「『子供にやらせたいスポーツ』のNo.1になるように頑張りたい」と言った言葉に、力がこもった。
引退から10年。「私のような思いをしてほしくない」との思いで、大山さんは第二の人生を歩んでいる。インタビューの最中、引退後について聞いた時、こんな話も明かしてくれた。これが、子供たちの未来に寄り添い続ける一番の理由のように聞こえた。
「実は、バレーボール選手になりたいと思う前は小学校の先生になりたかったんです。もちろん、子供の頃の夢ですけど。それが今は学校現場で指導させてもらったり、今日のような話をさせてもらったりする機会が多くて、2つ目の夢が叶っているような感じ。だから、これからもこの道を突き詰めていきたいと思っています。今、私がやっていることは、私の天職だと思っているので」
子供たちの未来の明るさは、バレー界の未来の明るさに比例する。36歳。第二の人生に出会った天職で夢を叶える道の、まだ途中にいる。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)