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【今、伝えたいこと】夏季競技だけじゃないコロナ余波 アイスホッケー鈴木貴人「スポンサー探し大変と…」

コロナ禍で生きるアイスホッケーの経験「現役時代はイレギュラーの連続だった」

 鈴木さん自身、日本のアイスホッケーの歴史を築いてきたレジェンドだ。

 北海道・苫小牧出身。6歳から競技を始め、日本一を経験した高校時代から全国区に。東洋大でも日本一を経験したほか、本場カナダに留学。大学4年で日本代表に初選出された。卒業後は米国にも挑戦し、実力を磨いた。

 13年に引退するまでアジアリーグ通算576得点を記録。日本代表では主将を務め、世界選手権に14度出場した。五輪の舞台には届かなかったが、日本アイスホッケー界を牽引。引退後は代表HCも務めた。

 発展途上の日本で国際大会は少なく、海外に出て戦うことが多い。その経験は、未曾有のコロナ禍で生きている。   

「海外遠征に行ったら言葉も通じないし、思ったことも伝えられない。最近はネットもあり、不自由さは減っているけど、昔は街の地図を探すのも一苦労、レストランを探すのも一苦労。その中でイレギュラーがたくさん起こる。試合日程が届かないとか。

 そういう風に思い通りに行かない中でベストの結果を求めなきゃいけない。現役時代はそんなことの連続だった。でも、スポーツとはそういうものだから。今、こうして大変な世の中にある中で、試行錯誤してきたことはきっと生きてくると感じています」

 東洋大で指導するほか、ジュニア向けスクール「ブリングアップ・アイスホッケーアカデミー」で小学校高学年~中学生、高校生まで教え、競技の普及・拡大に尽力している。アイスホッケーという競技が持つ魅力について、こう語る。

「ラグビーもコンタクトスポーツであり、団体スポーツ。すごく似た部分がある。私自身、この競技から学んだのは仲間の大切さと、仲間と目標達成をすること。団体スポーツとしては当たり前かもしれないけど、この部分は大きく学べた。もちろん、一人の力は大切だけど、その力を仲間と一緒に出せば、より大きな結果が生まれる。それがアイスホッケーの魅力だと思っています」

「氷上の格闘技」とも言われ、選手のぶつかり合いが激しい競技。「常に痛み、恐怖は付きまとうもの」というが、ライトなファンにとっては、選手同士が乱闘する「ファイト」のイメージもある。「実は、あれには意味があるんです」と明かす。

 アイスホッケーは野球のように、一度の攻撃で4点も5点も入るスポーツではない。通常は2~3点の勝負が普通で、5点も差がつけば、逆転が起こることは「奇跡と言っていい」という。しかし、こういう時こそファイトが起こり得るという。

「リーグ戦が多いので、負けているチームが諦めてない意思を示す意味でやったりする。単に相手が憎いからではなく、チームに勇気を与える側面もある。あるいは体が小さい選手が削られたら、選手を守るために大きい選手がファイトしたり。

 喧嘩にも意味がある。痛み、恐怖を持ちながら、自己犠牲とともに中を守るため、チームを鼓舞するため、勇気を振り絞る。『アイスホッケーは危ない』『選手の血の気が荒い』とよく言われますが、喧嘩にも意味があり、競技の文化でもあります」

 もちろん、暴力を肯定しているワケではなく、選手はペナルティを受ける。選手も終われば“ノーサイド”の意識がある。しかし、「どんなことにも勇気を振り絞り、立ち向かわなきゃいけない」という競技を象徴する一つのシーンでもある。

「私も北海道出身。プロの選手も多くが北国出身です。もっと、アイスホッケーが全国に広がっていかなきゃいけない。そうならないと、強化にもつながらない。昔はスケートができる場所は限定的だったけど、今は地域でできる場所も増えている。アイスホッケーが全国でより多くの人に親しまれる環境になってほしい。それが、自然と日本代表の強化につながっていくと思います」

 アイスホッケー界も大きな影響を受ける今、鈴木さんは前だけを向き、競技の明るい未来を作ろうとしている。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)

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