【今、伝えたいこと】「誰か来てください!」 五輪当日に負傷棄権、モーグル・伊藤みきが高校生に届ける声
「地球の終わり」と感じた手術後の夜、“壮絶な10時間”で得たものとは
当時、悲劇のヒロインのような立場だった。夢を奪われた心情は計り知れない。どうやって立ち直ったのだろうか。幸いにも、姉、妹、当時のコーチも同箇所を損傷した経験があり「当たり前に復帰するもんだ、みたいな空気感が家族も含めて私の周りにできていった」と復帰への道筋が見えていたという。
「もう自分で何も考えられなかったので『乗っちゃえ』という気持ちでした。正直、奮い立たない気持ちでしたが、手術は私が執刀するわけではない。先生が頑張ってくださることだから、先生に命を預ける気持ち。奮い立たない時は無理やりやると心が壊れちゃうと思ったので、無理をせずに『スキーができるようになりました』と先生に言うところまで頑張ろうかなと。目の前の一つずつのことに集中しました」
訪れた壁は、気持ちの切り替えだけではなかった。「競技人生で本当に『地球の終わりだな』と思った時がある」。穏やかな天気の続いたソチ五輪後の4月。拠点の長野ではなく、東京で右膝の手術を受けた。一人、術後の夜に見た地獄は忘れられない。
全身麻酔から目が覚め、病室の天井を眺めた。入院も、手術も初めて。ベッドには体内とつながった管が無造作に散らばっている。夜になると、部屋は真っ暗闇となった。この時、襲ってきたのは痛み止めによる吐き気。何度も嘔吐した。薬の中断をお願いし、吐き気よりも痛みを選んだ。夜8時。絶望感に襲われる時間が始まった。
傷口に激痛が走る。顎がカタカタと動いて止まらない。「痛すぎると、人って震えるんです。歯と歯が当たって音が鳴るのが凄くストレス」。自分で顎を押さえつけ、無理やり止めようとした。背中に麻酔の管、尿道に通した管があるため、決してベッドから起き上がってはいけない。ストレスが積み重なった。「激痛で眠れない。いったい何と闘っているんだろう」。心を無の状態にすること10時間。朝6時まで格闘した。
「その時にやり過ごすことを覚えました。時計を見てもいいけど、それに心を持っていかれないようにする。ただそこにいるだけの無の時間。“今は無を与えられている”と思ったら『無があるから何もないよりマシ』みたいな。そんな真っ暗な状態でした」
禅問答のような時間に耐えた。なぜ、ナースコールを押さなかったのか。今ではケラケラと笑いながら説明する。
「看護師さんたちもお休みされているだろうし、私がちょっと痛いくらいで起こしちゃだめだろうと思っていました。超バカですね(笑)。なんでそう思ったのか、なぜボタンを押さなかったのか謎です」
自分でも理解不能な気遣いにより、忘れられない一夜となった。3週間の入院中、学んだのは「できないことを数えだすときりがない。あるものを数える癖をつけると凄く楽になる」ということ。英会話の勉強やパズルにも挑戦した。「好きじゃないことに挑戦すると、自分じゃない自分が出てくる」と発見があり、前向きに過ごせた。
こんな経験があるからこそ、新型コロナ禍にあっても「なるべくいつもと変わらないように、平常心で心穏やかにやり過ごそう」と試みた。
冬季種目にも大きな打撃を与えた新型コロナ。モーグルはW杯の終盤戦など国内外の大会が中止となり、札幌開催の中高生が出場する3月のジュニアオリンピックもなくなった。来季の目標設定に関わり「目標を見失ったままわけのわからない春になっている子も多い。トレーニングをどう組んでいけばいいか困惑していると思います」という。