【#キミとONETEAM】「いまを乗り越えれば、ラグビーはもっといいものになる」―元日本代表・廣瀬俊朗
2年間務めたキャプテンを外されたとき、支えになった3つのこと
12年から2年間、務めてきたキャプテンを外されましたことがありました。キャプテンとしては合格だったと思いますが、スタメンで出られる可能性が低くなったので「もうキャプテンはできない」と言われました。その時はつらかったし、代表をもうやめようかとも思いました。でも、支えになったことが3つあります。
1つ目は良い仲間がいたこと。「2年間、キャプテンを頑張ってくれてありがとう」「もう一回、ラグビーを一緒にやりたいと思っている」と言われたことがうれしくて、この仲間と一緒にもうちょっとラグビーをやりたいと思えました。
2つ目はみんなに「誰もが憧れる存在になろう」「日本のラグビーの歴史を変えよう」と言っているなかで、キャプテンという肩書きであるか、ないかはどうでもいいこと。批判されても、やれることがあればやってみたいと貫きました。
3つ目は「代表をもうやめようか、でも頑張らないと……」と揺れているとき、ここに日本代表としてい続けたいという思いは自分自身で選んでいること。やらなきゃダメだと頑張れるようになりました。その3つがすごく大きかったです。その後はW杯を仲間と戦い、自分自身の可能性が大きく広がりました。
いま振り返って思うのは、しんどいときのほうが人って成長できるということ。調子がいいときは、それなりにやれてしまう。でも、しんどいときこそ真価が問われる。だから、コロナで大変ないまこそ、どういう態度でいるかは大事。外にも出られない、制約があるからこそ、子どもたちのみんなも新しい自分を生み出したり、深く考えたりするチャンスだと思います。
僕自身は小さいころ、ラグビーをずっとやっていて、スポーツが大好きでした。人前に出てしゃべるのは好きじゃなく、シャイなタイプ。ラグビーは友達と何かを一緒にやることが楽しかった。ラグビーは友達ができるし、友達との絆が強いのがラグビー。年齢が上がるにつれ、コンタクト(接触プレー)が発生し、痛みがわかる人間になれます。
だから、ラグビーをやっている子どもたちに長く続けてほしいです。いま、きっと選手もプレーする日を心待ちにしているし、ファンの皆さんも心待ちにしていると思います。きっと、ラグビーが再開できた瞬間の雰囲気は素晴らしいものになるのは間違いない。その環境が当たり前じゃないんだと気づいて選手はプレーするし、ファンも見に行ってくれると思います。
いまを乗り越えれば、ラグビーというスポーツがもっといいものになります。その日まで、一緒に待ちましょう。
【#きょうのトライ「きのうまでやっていなかったことを一つ、やろう」】
料理をやったことがなかったら料理でもいい。そうじをしていなかったらそうじ、パソコンを触ったことないならパソコンでもいい。なんでもいいから、新しいことをやってほしい。普段だったら、学校、習い事、練習がルーティン化されていて、新しいことをやれる時間がない。学校がない、いまがいい期間。やってみないとわからないことがたくさんあるから。きのうまでやっていなかった新しい何かにきょう一つ、挑戦してみよう。
■廣瀬 俊朗(ひろせ・としあき)
1981年10月17日生まれ、大阪府出身。北野高(大阪)から慶大へ進学。04年に東芝入団。07年に日本代表に選出され、同年の香港戦で初キャップを獲得。その後は一時日本代表から遠ざかったが、12年に5年ぶりに復帰。主将を任された。15年のW杯イングランド大会代表に選出。出場はならなかったが、選手から絶大な信頼を得て、チームを支えた。16年に引退。ポジションはスタンドオフ、ウイング。日本代表キャップ数は28。昨年はTBS系ドラマ「ノーサイドゲーム」に出演し、話題を集めた。
(26日は元日本代表・菊谷崇さんが登場)
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)