日本が韓国のライバルになった日 「アジアで最もテクニカルなチームに変貌した」
日本にとっての「ドーハの悲劇」は、韓国にとって「ドーハの奇跡」
日本がW杯予選で韓国に勝ったのは、これが初めてだった。両国ともに最終戦を残す時点で立場は逆転。首位に浮上した日本は、イラクに勝てば本大会への出場権を得られることになった。
「もう完全にダメだと思いました。日本は韓国に勝ったくらいだから、当然イラクにも勝つと思っていました。だから結果を聞いた時は、本当に奇跡が起こったと思いました」
優位な立場にあった日本は、最終戦の土壇場でイラクに2-2の引き分けに持ち込まれ、W杯出場圏外の3位に転落。北朝鮮に3-0で勝利した韓国が得失点差で2位に浮上した。日本にとっての「ドーハの悲劇」は、韓国にとって「ドーハの奇跡」だった。
もっとも日本戦の敗戦に打ちひしがれたホン・ミョンボは当時、「次に日本に負けたら、もう引退する」と発言したと報道された。
「正確に言います。あれは、次に負けたら引退するくらいの覚悟で臨みます、と話したんです。それからは私が出場した日本戦では負けなかったので、幸い引退しなくて済みましたけどね(笑)」
やがてJリーグにも参戦し、ベルマーレ平塚と柏レイソルでプレー。4度のW杯に出場し活躍することになった。
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加部究●文 text by Kiwamu Kabe