「悪い時に逃げるのは日本人じゃない」 地球の裏から来た闘莉王が日本を愛した理由
家族に帰国を求められた東日本大震災「悪い時は逃げるというのは日本人じゃない」
サッカー界から視野を広げ、スポーツ界全体に目を向けると、最近ではラグビー日本代表はワールドカップ(W杯)で様々な国にルーツを持つ選手が「ONE TEAM」となって、日本のために結束。リーチ・マイケル主将を筆頭に8強入りした姿は日本中の感動を呼んだ。日本人に対する敬意を持つことは外国出身選手が日の丸を背負って戦う上で何よりも重要になると、闘莉王も考えている。
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「違う国に住んでいたからこそ、日本や日本人の良さを見ていくと、素晴らしさがわかる。(外国出身の)未熟さはそういう人たちを見習っていかなければいけない。特に台風や地震でいろいろなご苦労をしている中で、みんなで助け合う気持ち。そういう日本人でなければできないことはたくさんあると思う。少しでもそんな姿に近づけるようにと目標を持って生きていかないとと思う」
闘莉王の発言にあった通り、日本は天災が多い。記憶に残るのは、やはり2011年の東日本大震災だ。名古屋に在籍していた当時、地球の真裏にいる家族から心配された。「原発が壊れたと聞いた。日本は小さい国だろう、帰ってこい」と連絡も受けた。しかし、闘莉王の頭に日本を出るという考えはなかった。「残念だけど、帰らないよ」と家族に言い、その理由はこう伝えたという。
「こういう苦しい時こそ、日本人に教えてもらったこと。『みんなで助け合う』ということが大事なんだよ。いい時だけ日本人みたいな顔して、悪い時は逃げるというのは日本人じゃないので。それは良くないよ。だから、僕は帰らない」
渋々ながらも了承してくれたという家族。闘莉王は「今できることをみんなでやっていかなければならないし、こんな苦しい時に逃げるわけにはいかなかった」と当時を振り返る。それほどの思いがあったから、03年に日本国籍を取得した後、U-23で初めて日本代表のユニホームを着た日のことは今も鮮明に覚えている。「すごく楽しかったし、今度はW杯に出ないといけない欲も溢れてきた」という。
誰よりも日本のことを思い、日本のために戦ってきた闘莉王。昨年12月の引退会見では「カタカナから漢字で『闘莉王』になるという風に決めたのは、日の丸に対する思い、今まで支えてくれた人たちに対する思い、日本に恩返しをする、その一心でインパクトを残さなきゃいけないなと思ったから」とも語っていた。
現在はブラジルに一旦戻り、故郷サンパウロ州で牧場などの様々な事業を展開し、第二の人生を歩み始めた。しかし、日本を思う気持ちは引退してもなお、変わることはない。
(文中敬称略)
田中マルクス闘莉王 1981年4月24日、ブラジル・サンパウロ州生まれ。1998年に渋谷教育学園幕張高に留学するために来日。2001年にJ1広島でプロデビュー。浦和、名古屋でチーム初のリーグ優勝に貢献し、06年にJリーグMVPに輝く。03年に日本国籍を取得し、04年アテネ五輪に出場。10年W杯南アフリカ大会では日本代表の16強進出に貢献。2019年シーズンを最後に現役引退。Jリーグ通算529試合104得点。DF登録選手の100得点はリーグ史上初。代表通算43試合8得点。現在、ブラジルで起業家として活躍中。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)