「山の神」柏原竜二を支えたデータに基づく指導 東洋大・酒井俊幸監督が個性を尊重する理由
教科書的な走り方でなくても…推進力に問題なければ細かく修正しない
酒井監督は「走りを見れば、(顔を見なくても)誰か分かる」と言い切る。それだけ選手を知り尽くしている証拠だが、選手の個性を最大限尊重する。例えば、フォームは見た目だけで良し悪しを判断しない。仮に手や足の動きがスムーズに連動する教科書的な走り方でなくても、体軸がブレずに推進力に問題なければ、細かく修正することはしない。
その典型例が柏原だった。腕を前後に大きく振り地面を踏みつけるような無骨なフォームだったが、その走りだからこそ、箱根駅伝史に残る活躍を見せた。また、「個性」の意味を広く捉えると、レースでの強烈な印象とは対照的に、柏原は貧血症状も含めて年間を通して高いレベルの走りを維持できるような体質ではなく、自分自身の考え方を他者に聞いてもらうことで気持ちを整えるタイプでもあった。そうした様々な要素を鑑みながら、「負けない柏原竜二をプロデュースしていた」と酒井監督は振り返る。
柏原の後に続いた選手たちも個性はそれぞれ異なった。「才能の塊」と酒井監督が称する設楽は、私生活ではマイペースを地で行くタイプだったが、レースでは圧倒的な強さを誇った。服部はエリートランナーとしての誇りを持って入学してきたが、才能あふれる設楽ら2学年上の選手たちに刺激を受け、奢ることなく精進し続けた。入学当初、自信を持ちきれていなかった相澤は、謙虚な姿勢と長い手足や胴周りが厚い身体的長所を生かし、徐々に力をつけていった。
「性格にしても走りの動きにしても個々に異なるので、その選手が最大限、力を発揮できるベストな状態を見極めることを心がけています」
今夏の世界選手権では西山和弥(2021年卒/現・トヨタ自動車)がマラソンで新たに日の丸を背負うOBとなった。今後、どのような「個性」が酒井監督の下から羽ばたいていくのか。
今季はここまで出雲駅伝で8位、全日本大学駅伝で14位。エースの松山和希ら4年生にとっては、節目の100回大会が自らの集大成の箱根駅伝にもなる。その走りに注目したい。(文中敬称略)
■酒井俊幸(さかい・としゆき)
1976年5月23日生まれ、福島県出身。学法石川高(福島)2年時に全国高校駅伝に出場。東洋大学時代は1年時から3年時まで箱根駅伝に出走し、2年時はシード権獲得に貢献。4年時は出走できなかったが、主将としてチームを引っ張った。卒業後はコニカミノルタに入社し、全日本実業団駅伝では2001年からの3連覇の中心選手として活躍を見せた。現役を引退し、2005年4月から母校である学法石川高の教諭に。2009年4月から母校・東洋大学陸上競技部(長距離)の監督となり、以来、箱根駅伝では総合優勝3回を含む10年連続総合3位以内の成績を残したのをはじめ、次回大会まで監督就任以来15年連続出場を継続中。学生三大駅伝の出雲駅伝(2011年)、全日本大学駅伝(2015年)でも大学史上初の優勝を飾っている。2017年まで指導していた競歩選手、長距離の卒業生を含め、五輪や世界陸上の日本代表選手を輩出している。
(牧野 豊 / Yutaka Makino)