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監督が「一番挨拶していない」 早大率いた元Jリーガー外池大亮、最も驚いた選手の一言

山田晃士の一言で部の雰囲気が一変

 体育会がサークル王者と試合をすれば、そこで初めて「早稲田を代表して」という誇りや、大学の中での体育会の存在意義が腑に落ちる。

「こんなこと、本当にやっていいんですか!」

 選手たちが心を躍らせる取り組みを、外池は決してブレーキをかけることなく、むしろ奨励し続けた。

「オレたちの時代にはできなかったことだけど、キミらが良いと思うならどんどんやろうよ」

 こうした流れの中から、独特のキャラクターも誕生した。浦和レッズユース出身の山田晃士(ザスパクサツ群馬)というGKがいた。3年時までは浦和でやってきたことがすべてだと思い込み、そのイメージに凝り固まっていたという。だが最上級生になり、外池は本人から「やっぱりプロになりたい」と相談を受ける。

「今のままでは絶対に無理だな。選手としてどこか突き抜けないと難しいんじゃないか」

 ある時のミーティングで、山田は全員に向けて主張した。

「最近、凡事徹底が足りていない。やはり毎日の挨拶一つひとつがしっかりとできないと隙が生まれると思う」

 なかなか良いことを言うな……と外池は耳を傾けていた。ところが最後に、山田は意外な一言を付け足した。

「ちなみに、この中で一番挨拶をしていないのは外池さんです」

 外池は「エッ?」と面食らった。思い当たる節がなかったので、当日の夕方、山田に電話を入れてみた。

「オレ、挨拶はしているつもりだけど…」

「グラウンドに出て来た時に、みんなはそれぞれが外池さんに挨拶をします。でも外池さんは、それに対して1度だけしか挨拶をしていません。本来挨拶とは70~80人部員がいるなら、その一人ひとりの目を見てするものです。1度だけでOKというのは、意外と大きな機会損失になっています」

 外池は「こいつ、凄いな!」と、その観察力や弁舌に感心した。翌日外池は、全員の前で「これからはしっかりやります」と謝罪し、以後、部の雰囲気は著しく改善されたそうだ。

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外池 大亮

早稲田大学ア式蹴球部・前監督 
1975年1月29日生まれ。神奈川県横浜市出身。早稲田大を経て97年にベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)に加入。2000年に横浜F・マリノスに移籍すると、その後は大宮アルディージャ、ヴァンフォーレ甲府、サンフレッチェ広島、モンテディオ山形を渡り歩き、06年に湘南へ復帰。J1通算82試合16得点、J2通算101試合13得点の成績を残し、07年シーズン限りでスパイクを脱いだ。現役引退後は広告代理店の電通を経て、現職でもあるスカパー!に入社。18年から22年まで、早稲田大学ア式蹴球部の監督を務めた。

加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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