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監督室のドアは「いつも全開」 慶応との差に危機感、早稲田率いた元Jリーガーの改革

監督室に「怖くて入れない」選手がたくさんいた

 一方で伝統を引き継ぎながら、外池自身の現役時代と比べても歯がゆさを覚えた。

「理不尽を超えた先に社会で通用する力が養える。そんな時代でした。しかしこうして上意下達が厳然とした時代でも、自分たちで何かをやろうという空気はあり、競技力がすべてではないと矜持を持つ人間もいて、そういうメンバーこそがパワーを生み出していた。例えば試合に出ていない連中が『おまえ、プロに行くの? だったらそれ相応のことをやれよ』と平然と言い放つ。僕自身もそういう空気が好きで、むしろ就職組の人間的なパワーがチームという組織を支えていたと思うんです」

 早大ア式蹴球部は来年の100周年に向けたプロジェクトを組み、外池もそのメンバーに選ばれていた。会合が開かれるごとに「早稲田は、このままでは難しい」と訴え続けると「だったらおまえがやれよ」と白羽の矢が立った。

「結果的には、自分で自分をプレゼンテーションしたみたいになりましたね。実は現役を退いた時に、指導者の道も考えました。すでに多くの指導者がいるなかで、どう違いを作り出すべきか。そこを突き詰めてみた結果、サッカーを上と下(上手い下手)だけではなく横に広げる資質が要ると思いました。まさか10年間も現場から離れて、こんなチャンスが巡ってくるとは思いもよらなかった。でもチャレンジできるチャンスだとは思いました」

 監督に就任してみると、部内は殺伐とした空気に覆われていた。誰が試合に出る、アイツには負けたくない……。外池は、そんなピリピリした空気を、いったん真逆に振ってみようと考えた。

「それまでは言われたことをやるだけの部活で、『監督室なんて怖くて入れない』という選手がたくさんいた。そこで監督室のドアはいつも全開にして、面談は必ず1対1で行い、誰でも話しやすい空気を作りました。僕のことも監督ではなく『外池さん』とか『トノさん』と呼ぶように仕掛け、戦い方からメンバー選考まで、できるだけ学生たちに裁量を渡しました」

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外池 大亮

早稲田大学ア式蹴球部・前監督 
1975年1月29日生まれ。神奈川県横浜市出身。早稲田大を経て97年にベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)に加入。2000年に横浜F・マリノスに移籍すると、その後は大宮アルディージャ、ヴァンフォーレ甲府、サンフレッチェ広島、モンテディオ山形を渡り歩き、06年に湘南へ復帰。J1通算82試合16得点、J2通算101試合13得点の成績を残し、07年シーズン限りでスパイクを脱いだ。現役引退後は広告代理店の電通を経て、現職でもあるスカパー!に入社。18年から22年まで、早稲田大学ア式蹴球部の監督を務めた。

加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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