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独名将が40年前に見抜いた日本人サッカー選手の特徴 現代に通じる共通の課題とは

「おまえは箸が使える。右も左も蹴れる。ほとんどのドイツ人は利き足しか使えないぞ。スピードもあり、器用なんだから、もっと積極的にプレーをしろ」―ヘネス・バイスバイラーが奥寺康彦を鼓舞した言葉

奥寺康彦の才能を認め、欧州進出の道を切り拓いたバイスバイラーの金言

「お前は箸が使える。右も左も蹴れる。ほとんどのドイツ人は利き足しか使えないぞ。スピードもあり、器用なんだから、もっと積極的にプレーをしろ」―ヘネス・バイスバイラーが奥寺康彦を鼓舞した言葉

 へネス・バイスバイラーは、1970年代の西ドイツ(当時)を代表する名将だった。ボルシア・メンヘングラードバッハを3度ブンデスリーガ制覇に導くと、1975年にスペインのFCバルセロナへと引き抜かれ、76年からは再び西ドイツへ戻り、1FCケルンの指揮官に就任した。

 バイスバイラーは同じ頃に、日本代表監督を務めていた二宮寛と昵懇(じっこん)で、二人はことあるごとに当時アマチュアで低迷中だった日本サッカーの打開策について話し合った。そこで実現したのが、日本代表の西ドイツでの分散合宿だった。

 日本代表選手たちを3つのクラブのトレーニングに参加させる試みで、二宮氏は特にプロの可能性を秘めた選手を、バイスバイラーが指揮を執るケルンの合宿に参加させた。

 奥寺康彦を筆頭に、西野朗(現日本サッカー協会技術委員長)や金田喜稔ら5人が参加し、その中で奥寺がバイスバイラーの目に止まり、直々にオファーを受けるのだ。

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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