Jリーグ監督として味わった“苦い経験” キャリア10年、名将の言葉に見た成長のヒント
Jリーグ各クラブの下部組織には“育成のスペシャリスト”である指導者が多く名を連ねているが、その中でやや異なる道を歩んできたのがガンバ大阪ユースの森下仁志監督だ。39歳でジュビロ磐田の監督に就任して以降、4チームのトップ監督としてJリーグを戦い、苦い経験も味わいながら再びユース年代を指導し、有望な若手の才能を引き出している。順風満帆とは言えない指導者キャリアを歩みながら、追求してきた森下監督の育成哲学とは――。最終回となる今回は、これまでの指導者キャリアを振り返りながら、目指す監督像について語った。(取材・文=小宮 良之)
森下仁志監督「若手育成の哲学」第4回、10年間の監督キャリアで見えたもの
Jリーグ各クラブの下部組織には“育成のスペシャリスト”である指導者が多く名を連ねているが、その中でやや異なる道を歩んできたのがガンバ大阪ユースの森下仁志監督だ。39歳でジュビロ磐田の監督に就任して以降、4チームのトップ監督としてJリーグを戦い、苦い経験も味わいながら再びユース年代を指導し、有望な若手の才能を引き出している。順風満帆とは言えない指導者キャリアを歩みながら、追求してきた森下監督の育成哲学とは――。最終回となる今回は、これまでの指導者キャリアを振り返りながら、目指す監督像について語った。(取材・文=小宮 良之)
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「(監督としての)結果だけを見たら、とっくに終わっていてもおかしくない」
ガンバ大阪のユース監督を務めて2年目になる森下仁志(49歳)は、そう言ってからりと笑い飛ばした。
ガンバ大阪、コンサドーレ札幌、ジュビロ磐田で現役を過ごした森下は、39歳という若さでJ1磐田の指揮を任されている。人間的な熱さと誠実さが、指導者の天性として高い評価を受けた。ただし、必ずしも結果は出ていない。
磐田では、2シーズン目の途中で解任の憂き目を見ている。J2の京都サンガF.C.ではヘッドコーチから暫定監督を務め、J1のサガン鳥栖を1年率いたが、成績自体は振るわなかった。その後はJ2のザスパクサツ群馬を率いたが、結果は降格だ。
2019年、プロキャリアの原点であるG大阪に戻って、U-23を率いるようになってから、その指導力を開花させた。1年目で中村敬斗(現LASKリンツ)、食野亮太郎(現エストリル・プライア)などをトップから一足飛びにヨーロッパのクラブへ移籍させ、他にも福田湧矢、谷晃生(現・湘南ベルマーレ)など多くの選手に影響を与えている。その熱血が、若い選手たちの覚醒をもたらした。森下が見つめる監督像とは――。
――ご自身の監督業を振り返って、いかがですか?
「39歳の時にジュビロ(磐田)で監督をスタートさせてもらい、ちょうど10年が経ちました。いろいろありましたが、まだまだ積み重ねが甘いと思います。それでも話をいただけてきたのは、なぜなのか。家族とか、周りの人には、『選手とタイミング、タイミングで良い出会いをさせてもらって、それで生かされている』って言っています。有難いしかないですね」
――監督は監督であり続けることで成長する、とも言われますが……。
「(ミゲル・アンヘル・)ロティーナが、ヴィッセル神戸の監督就任の挨拶で、『サッカーからの贈り物』という表現をしていたんですが、いい言い方をするな、と思いました。凄い経験を積んできた指導者ですが、サッカーに生かされているという感覚があるんだな、と。J2の監督会議でお会いした時も、監督を続けてきた落ち着きがあるなと思いました。ロティーナやネルシーニョのように、60、70歳でも第一線でグラウンドに立っていたいですね」