「五輪金メダルと東大」を生んだ柔道部 弱かった大野将平の才能を見抜いた恩師の神髄
主将から近年2人の東大合格者を輩出した世田谷学園柔道部の教え
学生である以上、学業との両立にも気を配った。大野は世田谷学園でも優秀な生徒だった。「彼はクラスで1年のときからずっとトップでした。結局、そこが彼の意地。柔道だけ強い選手はいっぱいいる。あるいはアスリートとしてそれなりに優秀である生徒はいるわけですけど、それだけではいかんということで言ってきましたので。両方やるからすごい」。大野は天理大卒業後も大学院に進学し、柔道に対する研究を行っている。
伝統は受け継がれ、世田谷学園では、柔道部主将から近年2人の東大合格者を輩出した。「主将としての誇りを彼らなりに受け継ぎたいという流れがありまして。オリンピックの金メダリストと東大、今はそういう柔道部です。それが私のできる取り組みかなと思っているので」と持田氏は話した。
一方で、難しかったのが、「体」の根幹となる食事面。「正直、ここが一番の難題で。彼は食が細くて偏食なんです。生魚を食べられない。要は一番の大好物はピザだったりする。洋食みたいなの好きだったんですね」と苦笑した。ハードな練習量をこなし、食事もどんぶりで豪快に取るという柔道家のイメージは大野には当てはまらなかった。「育ちざかりなのでガーッと食うイメージがあった。本当に茶碗一杯。普通の食事しか取らないんです。ごはんはもりもり食べるタイプじゃないです」。食堂ではバランスの整った食事を提供していたものの、栄養の心配は常につきまとった。
魚が食べられないため、力を入れたのは肉料理だった。持田氏が自ら台所に立つこともあった。よく食べさせたのはプルコギといい、「彼は牛が好きでしたね。プルコギなんかも私が鍋を振っていました」。野菜を多めに摂取させ、ちゃんこ鍋は味付けをアレンジしながら振る舞い、栄養の偏りを少なくしたという。無理やり食べさせることはなく、「食べないもん、あの子は。頑固だから。そんなの言ったって」と、本人に任せていた。
持田氏は、大野に限らず、子どもの父兄に対し「我が子」「我が子以上」と声をかけ、愛情を持って育ててきた。
選手を育てる秘けつについて、次のように結んだ。
「これは親子関係と一緒で、信じる力というのかな。いいときばかりではないけど、我が子と同じスタンスじゃなきゃといけないと思っている。それに近づかなきゃいけないなと思っています。もちろん、本当に(我が子と)思えているのかな? と思うこともあるけれど、ただ、やっぱり、一番のファンであることは間違いないよね。
ほかの人がいろんなことを言ったとしても、自分の一部だと思っている。親子関係だって思春期があって、離れる親もいる。だけど、それでも親の思いっていうのは変わらない。みんなに袋だたきになっても、誰かが待っててくれる、あの人だけが信じて待っていてくれるという存在であればいいなと思っています。居場所かな……」
(THE ANSWER編集部)