新谷仁美らを育てる陸上コーチ・横田真人 選手たちの“その後”を本気で考える指導論
いつか必ず訪れる、引退後への準備
――オリンピック出場後、なぜアメリカに拠点を移されたのでしょうか?
「もともと、大学卒業後も競技を続け、アスリート一本で生きていくなんて考えたことがなくて。実業団の選手になると決めたとき、ものすごく不安だったんです。でも、当時、大学のゼミの先生に相談したら、『絶対にやったほうがいい。そして、世界と戦いたいなら海外に行きなさい。でもその代わり、いつか必ず辞めるときがくるから、そのときのために準備をしなければいけないよ』と言われて。
ゼミの先生は大手コンサルティング会社を経て、大学教授になっていて、私が引退後に入りたい世界に近い人でした。そういったキャリアと実績を持っていたので、とても信頼していたんです。ゼミの先生の言葉を信じて、アスリートになることを決意し、海外に行こうと決めました。いくつかの実業団からお誘いをいただいていた中で、富士通を選んだのは『海外に行ってもいい』と言ってくれたからでした。
アメリカに移ったのはロンドンオリンピックが終わってからの2年間。競技を続けながら、いつか訪れる引退に備えて、英語を学び、公認会計士の資格を取得しました。アメリカでの競技生活は日本よりも放任主義で、練習もプライベートも『自分で決める』ことが増えましたね。その中で考えても調べても、結局のところやってみないと分からないと実感することも多くて。だから、失敗しても構わないからやってみる。そのスタンスは今のビジネスやコーチングにも生きていると思います」
――現役引退を決めたのは、何がきっかけだったのでしょうか?
「私は2016年に現役を引退しました。引退を決めた理由は大きく2つあって、1つはリオオリンピックに出られなかったこと。そして、もう1つはコーチになると決めていたことです。
富士通ではオリンピック出場を求められていたし、私もそれを約束して入っているつもりでした。だから一度ロンドンオリンピックで結果が出たからといって、その後何年もやらせてもらうという価値観は私の中になくて、リオに出られなかったのだから辞めようと。また、NIKE TOKYO TCのヘッドコーチにならないかという話を2015年にもらっていたので、2016年で辞めようと決めました。
つまり、引退前からやることを決めていたんです。そうじゃないと、辞めるのが怖くて。NIKE TOKYO TCの話をもらう前から、引退後はアメリカの大学院に行こうと準備を進めていたほどです。だから、今でもコーチだけやっていればいいとは思っていなくて、いろいろなことに取り組んでいます」