夏の猛練習は「美談」ではない 指導者が意識すべき成長機会を“奪っている”可能性
今年の夏休みはどんな夏休みだっただろうか。日本で一般的に夏休みというと部活動やスポーツクラブは毎日のように練習や試合でスケジュールが埋まることが少なくない。
【ドイツ在住日本人コーチの「サッカーと子育て論」】選手を成長させるには負荷を適切にコントロールすることが重要
今年の夏休みはどんな夏休みだっただろうか。日本で一般的に夏休みというと部活動やスポーツクラブは毎日のように練習や試合でスケジュールが埋まることが少なくない。
「さあ、追い込み期だ!」
「夏を制する者が成功を手にする!」
そうした言葉をよく耳にする。日本における夏の風物詩の一つと言えるのかもしれない。今年は新型コロナウイルスの影響で、既存の大会開催が難しいところも少なくないかもしれないが、限られた時間の中でなんとかしようと必死になる大人が後を絶たない。
「追い込み期」という言葉が気になる。そもそも、なぜ追い込む時期を定める必要があるのか。なぜ全力で頑張る時期を設定しなければならないのか。
試合に近い負荷と空気感のなかで、最大限の集中力で取り組む機会を持つことが確かな成長には欠かせない。でもそれが大事だからと毎日毎日、選手に要求するのは間違ったアプローチだ。
人間は全力を出し続けることができない。それは体のメカニズムからして、できないことなのだ。全力を出したら十分な休養が必要だ。選手を成長させるためには、トレーニング内容や頻度によって選手にかかる負荷を適切にコントロールすることが非常に重要なのは言うまでもない。
だから、指導する側のスケジュール能力が大事になる。練習頻度を配慮して、練習における負荷をコントロールするのは、全力で臨み取り組むことができる頻度と機会を可能な限り多く持てるようにするためだ。
例えば毎日練習するということは、毎回全力を出さないでトレーニングしなければもたないということだ。「全力を出さないなら罰走だぞ!」と強制的にやらせようとしても、そもそも僕らの体はそんなことができないようになっているのだから。
子供たちは察している。指導者がイライラを募らせ、「あ、これは練習後にさらに走りの練習があるな」と思ったら、さりげなく力をセーブする。そうしないと倒れてしまうから。
でも、その練習で彼らは何を学ぶのだろう?