偉大な父と比べられる君へ 「金メダリストの息子」と言われた体操・塚原直也の助言
父を「ライバル」と公言、高まった意識「父を超えることが目標に」
自分の意思と関係なく、偉大な父と比較されるのは宿命かもしれない。ただ、塚原さんにとって、競技の苦になることはなかった。ここもやはり、父の存在が大きかった。「周りから言われていてもいつも自然体で、純粋に体操が上手くなるために応援してくれる。そういう行動をしてくれたので、周囲から言われる言葉がそれほど気になることはなかったです」と感謝する。
それ以上に感じていたのはプラスの面だ。例えば、父の競技実績が秀でていれば、自然と意識のベースが高まる。塚原さんが体操を始めた時に立てた目標は「五輪で金メダルを獲ること」だった。普通の家庭で、いきなり世界一を目指すとすれば大それたストーリーかもしれない。しかし、父が実際に「五輪金メダリスト」なのだから、決して絵空事にはならない。
体操を始めた頃から、父の存在を「ライバル」と公言していたのも特徴的だ。他校、他クラブの実力選手より、最も身近な人が最も高い壁として存在していたことは成長する上で優位性が大きかった。
「最初は何かの取材で、父に『(自分のことを)ライバルとでも言っておけよ』と言われたことがきっかけだったかもしれませんが、その言葉通り、父がしたインターハイの2連覇、全日本選手権の優勝回数、NHK杯の優勝回数と、父を超えるということが競技をやる上で目標になっていた部分がありました。なので『ライバル』という言葉がしっくりくると思います」
もちろん、最良のコーチにもなる。「一番、大きかったのは父の経験。聞けば、いつもアドバイスをしてくれた」というが、それだけじゃない。光男さんの現役時代のライバルで五輪金メダリスト7個を獲得したロシアの英雄、ニコライ・アンドレアノフ氏をコーチに招聘。成長する上で必要な環境も整えてくれた。元トップ選手ならではの人脈もまた大きなメリットになった。
「自分が望むように、本当に環境を整えてくれたり、コーチを呼んでくれたり。余計なことは言われたことがないし、思いはすべて行動で表してもらった。それが一番、自分に響きました」と語った上で、偉大な父との関係性について明かす。
「五輪の話を自分からすることは一切なかった。たまに会話の流れで五輪の話題になったら、あの時はこうだったと少し聞いたことがあるくらい。金メダルも戸棚にしまいっぱなし。行動一つ一つが緊張を与えない。金メダルは凄いけど、『過去の栄光』『もう終わったこと』という振る舞いだったので、それが自分のプレッシャーにならず、いい体操人生を送れた要因だと思います」
しかし、いくら環境に恵まれていても、生かすも殺すも、すべては本人の努力次第というのは当然のこと。そんな過程を次世代の才能に共有する機会が7月2日にあった。登場したのは「オンラインエール授業」なるものだ。
「インハイ.tv」と全国高体連が「明日へのエールプロジェクト」の一環として展開。インターハイ中止により、目標を失った高校生をトップ選手らが激励し、「いまとこれから」を話し合おうという企画で、体操の五輪金メダリストが“先生”になった。印象的だったのは、明大中野(東京)で過ごした高校3年間のエピソードだった。
「練習漬けの毎日でした。その頃にロシアのアンドレアノフコーチに出会い、1日7~8時間の練習を続けていた」。筋トレをほとんどせず、1日6種目すべての演技を繰り返して、練習自体を筋トレのようにするロシア式で才能を磨き、父と同じインターハイ2連覇を達成。「高校時代が体操人生のデビュー戦みたいなもの。一気に成績が出て、大きな自信がつきました」と振り返った。