栗原恵がコートで笑顔を忘れた日 「隣のローソン」に憧れた“部活と3年間”の告白
笑顔を忘れた中学時代、「笑う練習」に泣いた高校時代
なかでも、忘れられないことがある。それが「笑う練習」だ。今でこそ、笑顔がトレードマークとなっているが、笑顔を失っていた過去があった。中学時代。失敗をしたら厳しく怒られ、常に何か怯えているようにプレー。怒られないことを優先し、心からバレーボールが楽しめないことがあったという。当時の自分を「自己表現がまるでできない子供」と表現する。
三田尻女子に入学すると、練習メニューを組んでいた田渕正美コーチ(現・監督)は、そんな大型ルーキーの心の中を見抜いていた。「俺はポーカーフェイスは大嫌いだ。お前のその顔はなんだ」と指摘され、なんとも奇抜な課題を課された。
得点を決めてもいないのに『はい、得点』と言われたら、さも得点が決まったかのように全力で喜ばないといけない。「何にもうれしくないのに『やったー!』ってコートを走り回って、できていなかったら『お前、それでいいのか』という声が飛んでくる。それができるまでやらされていました」と栗原は笑って振り返る。
ステージ上で校歌を大声で歌ったこともある。「自分を消すこと」が当たり前だった15歳にとって、正反対の「自分を出す練習」は苦痛だった。「やっぱり特別できなくて……。嫌すぎて、泣きながらやっていたくらい。泣いているのに顔は笑わなきゃいけない。洗面所に行って『鏡を見て笑ってこい』と言われて、全然楽しくないのにやったりして」と明かした。
ただ、プレーと関係がない練習に見えるが、「思えば必要だったことだったのかなと思います」と、その意味を理解している。
「バレーボールは波のスポーツ。だから、流れが来ると一気に得点が入るし、逆に流れが相手に行ってしまうと一気に連続失点して負けてしまう。流れの雰囲気があって、一人の選手の感情表現で一気にチームが勢いづく。特に、高校生は実業団以上にその部分が大きな力になる。私みたいに暗い顔をしてコートに立っていたらみんなも楽しくないし、チームも盛り上がらないですから」
そんな風にして“感情の開花”は“才能の開花”と比例していった。うれしさを表現するだけじゃない。悔しい時はコートを叩き、自然と闘う本能が芽生えた。そして、1年夏に迎えたインターハイが、高校生活の大きな転換点となった。上級生に交じってレギュラーとして活躍し、日本一に輝いた。
「入学してすぐの全国大会。右も左もわからないまま先輩の中に1人ぽんと入れられ、毎試合、勝つのが当たり前の雰囲気で臨んで、負ける考えが全く頭になかったんです。そんな感じで勝ち進んでいっていたので、高校自体が全国制覇初だったのに、そういう大きさも実感がないまま、ただひたすら自分のプレーに集中して、がむしゃらにやっていました」