ラグビー界に勝者なき全国大会のなぜ 15人揃わぬ部活の現実…花園王者から合同チームまで、勝敗を超えた3日間

「ゼンコーさん」の献身 名称を「交流会」にした理由とは
「僕らは実働部隊ですね。大会のスタッフは、釜石ラグビー部(新日鉄釜石)OBらで作ったクラブチーム、釜石クラブのメンバーが参加してくれています。私も、今日は年休を取っての参加です。皆、3日間フルには難しくても1日だけならと各々休みを取って手を貸してくれているんです。レフェリーだけはさすがに岩手県協会とも相談して、県内で賄えないところは青森、秋田と東北近県から、交通費は出します程度のほぼボランティアでやっていただいています。高校生たちは、せっかく各地から集まってくれる。満足のいく対応が出来ているかどうかというのはありますけれど、4年間続けてこられました。まだまだ改善の余地はあると思いますが、更に続けて行けたらいいですね」
副実行委員長を務める高橋氏が訥々と語ってくれた。黒沢尻工高―明治大ではパワフルなNo8として活躍。明大時代からPRに転向して、釜石でもスクラムを組み続けた。朴訥とした物腰はまさに東北人だが、その愚直でパワフルに前に出るプレーも、まさしく東北のラグビープレーヤーだ。その姿から、誰もが本名の「よしゆき」ではなく親しみと敬意を込めて「ゼンコーさん」と呼ぶ。
現在の日本製鉄での職場は盛岡だが、野上校長からこの交流会開催の相談を受けてから地元でのチームの受け入れ態勢を整えてきた。本人が語った通り、大会運営は基本的には新日鉄釜石OBらを中心にボランティアで行われている。試合進行や会場の得点ボードの担当も、往年の名選手が務めるなど手作り感満載だ。
通常の全国規模の大会なら日本ラグビー協会や地方協会が主催するのだが、この交流会は東北復興高校ラグビー交流会幹事と同実行委員会が担う。ゼンコーさんは、敢えて独自の主催を決めた理由をこう説明する。
「まず、名称を『大会』にせず『交流会』としたんです。大会にしてしまうと、いろいろなところに申請したり、許可を求めたりとなるので。だから、あくまでも練習試合の一環という位置づけで、交流会という名前にしましょうとなったんです。それに、勝ち負けの試合じゃないということもありました」
協会に主催を委ねたり応援を求めたりすれば、競技団体としての規約やルールに縛られることになる。協会主催による支援やサポートは捨てがたい面もあったが、先に紹介した選手により多くの試合を経験させたいという交流会の趣旨を考えれば、従来の規約に捉われず、自由で柔軟なルールの下で開催するのがいいと判断して、自分たちが主催することを決めた。チームは、新年度などそれぞれの事情で参加日数も短縮させるなどしながらでも参加している。手弁当でなんとか実現にこぎつけた交流会だったが、開催してみての発見もあった。
「今回参加してくれた東北勢も、全国ではまだまだ存在感の薄いチームもあれば、合同チームもある。でも、実際に試合をしてみると、強豪勢が2本目、3本目であったとしても、そこまで通用しないわけじゃないと感じています。合同チームでも、目立つプレーをしている子もいるんですね。合同チームを連れてきてくれた先生方から『いい経験になりました』と言ってもらえたときは嬉しかったですね。選抜大会に出ていたチームも、ここでは出られなかった選手たちの経験の場だったり、様々なチームとの交流も出来ればいいと思います」
先にも触れたように遠征費、宿泊費はチームの“持ち出し”だが、大会運営費はどのように捻出しているのだろうか。
「私たちで協賛を集めています。予算自体はゼロからのスタートです。なので、様々なところを回って一口1万円の寄付を、一口でいいのでとお願いして回っています。グラウンドの使用などについては釜石市の理解もありますが、チームの費用負担を軽減しようということで、微々たる額ですが実行委員会でも100万円ちょっとだけ集めて、運営費やチームの食べるものの食材をすこしだけ良くすることに充てています。市にはスポーツ合宿補助金という制度もあるので、それも活用しながらやっています」
20ページ程の交流会パンフレットを見ると、試合日程や大会規約と共に7ページに渡り30の協賛企業、団体らの名が掲載されている。そこにはドリームマッチのジャージーを提供してくれている大和ハウス工業のような企業もあれば釜石市内の個人商店や医院などが並ぶ。モノクロ刷りのささやかな冊子ではあるが、そこにはゼンコーさんはじめ釜石のラグビー関係者が一軒一軒頭を下げて回った支援要請に応えてくれた人、組織への感謝の思いが滲む。
この地域にとっても、500人を超える訪問者が複数日滞在するようなイベントはほとんどない。高校生とはいえ、宿泊や飲食で町にもたらされる恩恵は間違いなくある。それ以上に、この町をあまり訪れることのない若い世代が大挙して集まることによる地域への刺激や活性化というメリットは計り知れない。ゼンコーさん自身も、いまは釜石を離れているが、この地域の現状をこう指摘する。
「釜石は“鉄と魚とラグビーの町”と言ってきたけれど、いまは魚も揚がらないし、製鉄所の規模も小さくなっています。震災後、インフラなどは段階的に手を加えられています。でも、震災から人口が減って、活気が失われているのは感じますね。私が釜石(新日鉄)に入社した当時(1987年)から比べると人口は半分くらい。今は3万人を切っていますからね。町を歩いても人通りは少ないですし、復興はしていても少しずつ寂しくなっていくように感じています。なので、いわゆる交流人口というものですが、圏外から来る人たちを作っていかないと、ここに住んでいる人たちだけでは活気は戻ってこないのではないかという気がします」
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