ラグビー界に勝者なき全国大会のなぜ 15人揃わぬ部活の現実…花園王者から合同チームまで、勝敗を超えた3日間

長らく続く東北勢の苦戦「交流することで成果が出てくれば」
個人的にも、高校ラグビーの取材を続けてきた中で、2011年の震災を境に東北の高校チームが「花園」で苦戦を強いられていることは気がかりだった。過去には最多の優勝15回を誇る秋田工や盛岡工などが全国制覇を果たしたが、東北勢の花園優勝は1987年度の秋田工が最後だ。昨年度花園での東北勢の通算成績は2勝6敗。過去3大会は16強による“正月越え”も果たせていない。東北勢の苦闘については、全国大会などの現場で目の当たりにする吉岡監督もこう指摘する。
「(苦戦を)感じますね。戦術的にも、やはり全国のチームは展開が立体的で、バックドア(攻撃ラインを二層に作り、後方のラインを生かす戦術)を使うとか、キックもSOではなくSHから蹴ってきたり、世界基準のプレーを取り入れている。けれど東北のチームと試合をすると、変わりなく昔ながらのラグビーをやっているように見えますね。中継もあるし、花園などの試合を見て勉強はされているでしょうけれど、実際に選手たちがそういうラグビーを試合で体感することが大きい。この交流会では、強豪勢はAチームじゃない編成で来ているところも多い。でも、彼らはB、Cチームでも同じ戦い方をしています。だから、交流することで成果が出てくればいいと思います。選手だけじゃなくて指導者も、こうやって東北に集まって強豪校と東北の先生方が顔見知りになって、この3日間だけじゃなく菅平や様々な所での練習試合や選手の交流に繋がれば素晴らしいじゃないですか」
日々の取材でも、震災前なら秋田工、盛岡工、仙台育英や青森北ら東北の高校から首都圏の強豪大学に入学する選手は少なくなかったが、最近では数える程しかいない。関東、関西、九州と毎年全国大会で上位に勝ち上がる地域は、強豪校同士が平時から練習試合を行い、様々な情報交換、共有でお互いを高め合っている。その積み重ねが、戦術面、技術面、そして精神面も含めて全国大会で勝ち上がれる力を養ってきた。それに比べると、東北エリアの高校が同様に全国トップクラスの強豪と定期的に接点を持つのは容易ではない。そんな状況の中で、勝つことが義務づけられる名立たる強豪校の指導者が、東北の仲間たちへ手を差し伸べることの意義や価値を忘れていないのが救いだ。
岩手に隣接する宮城から仙台育英を引率してきたニュージーランド出身のニールセン武蓮傳監督は、特別な思いを胸に指揮を執った。
「開催する価値はありますね。何でも経験じゃないですか。東北のラグビーが、全国について行けてないところも感じています。僕らも県内では自分たちのやりたいプレーがどんどん出来るけれど、全国大会だとそうは出来ない。タックルも強度が違うのでボールを継続出来なかったり。だから、この交流会での学びはありますね。東北のチームもですが、岩手県内の子供たちも集まって、こうやって自分たちが成長できる」
祖国から仙台育英に留学。卒業後も流通経済大、現在のNECグリーンロケッツ東葛、釜石SWでもプレーして、「第二の故郷」と明言する仙台の母校へ戻って来た指揮官にとって、東北の支援を目的としたゲームを、震災時に住んでいた釜石で行うことに意味がある。
「震災の時は、最初はラグビーが出来るのかという中で、続けようという判断になったんです。そこに、最初にヤマハ(現静岡ブルーレヴズ)が試合をするために来てくれたんです。釜石でもシャトルバスを出したりして人を集めたり苦労する中で、試合の時だけは、大変な事を忘れてラグビーだけ楽しんでくれた人たちがいた。あれが自分のラグビー人生の中でも感動した試合だった。あの経験があって、ここで生徒たちがラグビーを出来ることが素晴らしいことです。全国の高校生がここに来てくれること、東北だけでやっているんじゃないということを忘れちゃいけないと思います」
「東北のために」という大義がある一方で、この交流会は強豪勢にも得るものがある。再び國學院栃木・吉岡監督の言葉だ。
「この鵜住居という震災から復活しようという土地にね、こういうイベントが無ければ、やはり九州、近畿、関東から高校生が来るのは簡単じゃない。だから実力別の編成じゃなく、3年生で来るチームもある。被災地を知る学びにもなるし、思い出になる。高校生にとって、思い出を作ることって馬鹿に出来ない大事なことです。だからウチは37人の生徒を連れてきていますが、出られない子もいる。選抜大会のメンバーだったけれど、試合時間が少なかった選手もいる。この交流会に出場出来ることを名誉に感じる子もいるんです。そして、卒業して20、30、40歳となって『あの時、釜石に、岩手に行ったな』という記憶がいろいろな事に繋がっていくんですよ」
「学び」という面では、野上校長が引率した常翔学園は、宿泊したホテルからバスで試合会場に移動するところを敢えて鉄道の三陸リアス線を使うことで、この地域の被災の痕跡や復興具合を目の当たりにしている。他のチームでも、仙台空港と釜石間のバス移動で、陸前高田などの被害の大きかった地域に立ち寄るなど様々な復興学習をしながら参加していると聞いた。大会2日目には「語り部」イベントを開催。復興スタジアムの観客席に選手が集まり、震災前のスタジアム敷地にあった鵜住居小、釜石東中在学中の被災経験の話や、選手と同世代の高校生の防災や復興への思いを聞いた。
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