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高校から陸上部→3年で全国区、箱根エースに 転機は「体育祭」…他の駅伝強豪校に目移りせず――帝京大・楠岡由浩

入学後は故障に悩まされ…「背負い過ぎた部分があった」

――初の5000m13分台を持つ選手として帝京大駅伝部に入部しました。学年のトップですし、どんな意識で入部されたのですか。

「記録は持っていましたが、自分が突出して強いとは思っていませんでした。ただ、期待されているのは感じていましたし、1年目から全試合に出てやろうという気持ちはありました」

――ただ、1年目は3大駅伝に絡めませんでした。

「故障が多かったのが最大の要因です。高校と大学では、練習の質も量も全然違うのに、まだ高校生の感覚のままで練習をしていたんです。当然、負荷が違うので本来であればきちんとケアをしないといけないですし、痛みが出たら休まないといけないんですけど、やれるという認識の甘さが故障に繋がってしまって。1年目は、走れた期間が本当に少なかったです」

――どんな故障に悩まされたのでしょうか。

「主にシンスプリントです。高校の練習だと多少痛くても走れますし、走りながら治すことができたんですけど、大学は練習量も多く、きついのでそのまま走っていたら治るどころか、どんどんひどくなっていったんです。その結果、フォームが崩れて、さらに不調になって、どんどん悪い方に転がっていった感じです。当時は、自分にかかるプレッシャーとかあまり意識していなかったんですけど、休まずに走っていたのは、1年生の時は箱根は予選会からのスタートでしたし、自分がやらないといけないと背負い過ぎた部分があったのかなと思います」

 1年時は、シンスプリントだけではなく、ストレスで眼にも異変が出た。二重に見える「複視」を患った。足の故障もあって、怖くて走れなくなり、1か月ほど完全休養を取った。11月末には眼も足の故障も完治し、それから大きな故障なく、今まで走り続けることができている。

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佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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