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高校から陸上部→3年で全国区、箱根エースに 転機は「体育祭」…他の駅伝強豪校に目移りせず――帝京大・楠岡由浩

入学後は故障に悩まされ、苦しい時期を過ごした楠岡(左)【写真:帝京大駅伝競走部提供】
入学後は故障に悩まされ、苦しい時期を過ごした楠岡(左)【写真:帝京大駅伝競走部提供】

帝京大に惹かれた理由は「自分で考えて取り組むスタイル」

――陸上を始めて、どのくらいから「やれるな」と手応えを感じるようになりましたか。

「うーん、難しいですね……やれるとか、向いているとか、思ったことがなかったので。でも、高2ぐらいから熊本県ではけっこうトップの方で走れるようになって、高3で全国でも上のレベルで走れるようになってきてからは楽しいと思えるようになりました。陸上はサッカーと違って数字で結果が出ますし、そこで自分の成長を知ることができるので、そこに陸上の楽しさを感じることができました」

――熊本県ですと、九州学院という陸上の強豪校がありますが、意識していました?

「自分が通っていた慶誠高校は陸上部の歴史も力もある学校ではなかったんです。九州学院は駅伝が強く、都大路に出てカッコいいなって思っていたので、個人としても県で駅伝
を戦う上でもすごく意識していました」

――都大路は高校生の憧れですが、箱根駅伝は高校の時、見ていたのですか。

「陸上を始めるまではサッカーの高校選手権は見ていたのですが、箱根駅伝は正月に走っているのは知っていましたが、正直、ほとんど見ていなかったです。大学生の大会というのも知りませんでした。高校に入ってからも1年目は見ていなくて、2年目になって見たという感じです(苦笑)」

 高3になり、全国大会で結果を出し、名前が全国に知れ渡ると、当然、関東の駅伝強豪校からも声が掛かることになる。そういうなか、楠岡は帝京大への進学を決めた。

――帝京大学への進学を決めたのは、どういう理由だったのですか。

「うちの高校の陸上部の顧問の中村(大樹)先生が学生の頃から中野(孝行)監督と杉本(昇三)コーチと交流があったので、1年の時から帝京大学についてよく聞いていました。高2の時に、練習と施設の見学に行き、監督とも少しお話をさせていただいたんです。その時、監督から『うちの大学は練習はやらされるんじゃなくて、自分で考えて取り組んでいくスタイルだよ』と教えていただいたんです。自分は高校の時も自分で考えて練習を組み立てて、わりと自由にやっていたんです。大学でも自分の考えを活かして自由にやりたいなって思っていましたし、帝京大はまさにそのスタイルだったので、このチームでやりたいと思って決めました」

――他の駅伝強豪校に目移りすることはなかったのですか。

「国学院はテレビで見た時、ユニフォームが格好いいなって思っていました(笑)。でも、特に気になるとか、行きたい大学はなかったです」

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佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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