三陸の街・気仙沼に息づくフェンシング文化 “幻の五輪代表剣士”が地元で繋ぐ練習会【#青春のアザーカット】
学校のこと、将来のこと、恋愛のこと……ただでさえ悩みが多い学生の毎日。その上、コロナ禍で“できないこと”が増え、心に広がるのは行き場のないモヤモヤばかり。そんな気持ちを忘れさせてくれるのは、スポーツや音楽・芸術・勉強など、自分の好きなことに熱中する時間だったりする。
連載「#青春のアザーカット」カメラマン・南しずかが写真で切り取る学生たちの日常
学校のこと、将来のこと、恋愛のこと……ただでさえ悩みが多い学生の毎日。その上、コロナ禍で“できないこと”が増え、心に広がるのは行き場のないモヤモヤばかり。そんな気持ちを忘れさせてくれるのは、スポーツや音楽・芸術・勉強など、自分の好きなことに熱中する時間だったりする。
そんな学生たちの姿を、スポーツ・芸術など幅広い分野の第一線で活躍するプロカメラマン・南しずかが切り取る連載「#青春(アオハル)のアザーカット」。コロナ禍で試合や大会がなくなっても、一番大切なのは練習を積み重ねた、いつもと変わらない毎日。その何気ない日常の1頁(ページ)をフィルムに焼き付けます。(取材・文=THE ANSWER編集部・佐藤 直子)
12頁目 気仙沼市総合体育館でのフェンシング練習会に参加する小中高生
リアス式海岸が織りなす景色が美しい三陸の港町・気仙沼。11年前の東日本大震災で甚大な被害を受けた街は、未来へ続く復興の道を着実に歩み続けている。その歩みを後押しするかのように、真っ直ぐで晴れやかな子どもたちの笑顔が咲く場所がある。毎週火曜日、気仙沼市総合体育館で開催されているフェンシング練習会だ。ここには気仙沼でフェンシングに励む小中高校生が参加する。
主催するのは、幻のモスクワ五輪日本代表の千田健一さんだ。日本のボイコットで出場が叶わなかった千田さんは故郷・気仙沼で高校教員となり、ジュニア世代の指導に専念。鼎が浦高(現在は気仙沼高と統合)や気仙沼高でフェンシング部をインターハイ優勝へ導いた。5年前に教職を退いた後は、週1回の練習会で幼児や小中学生を中心にフェンシングの楽しさを伝えている。
練習会には地元・気仙沼高フェンシング部の生徒も参加するが、練習は学校での部活動で終えた後。ここでのメインは、かわいい後輩たちを指導するコーチ役だ。その他にも、かつて名フェンサーとして慣らした地元有志たちがコーチとして参加。幼児から中高年の大人まで、フェンシングで繋がった“仲間”たちが切磋琢磨する。
中世ヨーロッパの騎士道に端を発するフェンシングと、日本屈指の水揚げ量を誇る漁港の街。意外な組み合わせの始まりは1950年代、本吉町(現気仙沼市)出身で全日本選手権王者にもなった千葉卓朗さんの功績が大きい。地元・鼎が浦高などでフェンシングを教え始め、1964年東京五輪に出場した大和田智子さん、そして千田さんを育成。千葉さんの流れを継いだ千田さんは、五輪3大会連続出場の菅原智恵子さんを育て、長男・健太さんがロンドン五輪の団体銀メダルを獲得したことは記憶に新しい。
小中学生のフェンサーを高校生が指導、憧れのお兄さんに「尊敬しています!」
「コウセイくんはすごいなって、私は尊敬しています!」
慣れないインタビューに臆することなく、明るくハキハキとした口調で話すのは、3月に東北少年フェンシング大会の小学生B女子(3・4年生)で優勝した金野新(こんの・さら)さんだ。「まさか優勝するなんて、すごくうれしくて、あり得ないと思いました」と話す少女フェンサーは、「オリンピックを目指しています。金メダルを獲りたいです!」と声を弾ませる。その金野さんが尊敬してやまない「コウセイくん」とは、気仙沼高2年でフェンシングU17日本代表にも選ばれている臼井康晴くんのことだ。
小学1年からフェンシングを続ける臼井くん。「戦いや剣が好きで憧れがありました」と遊びのつもりで始めたものの、小学4年の時に全国大会で3位になると本気モードに切り替わった。小学6年の全国大会で入賞し、オーストラリア遠征に参加。試合で練習の成果が現れるようになると「やっぱり楽しいし、練習して良かったと思えます」。気が付けば、フェンシング一色の生活になった。
遠洋マグロ漁業を営む父・壯太朗さんは、かつてフェンシング日本代表として国際大会出場経験を持つ。時間のある時には練習会に参加し、地元の子どもたちの成長をサポート。父が送るアドバイスに、息子が熱心に耳を傾ける姿もおなじみの光景になっている。
理想の父子像にも見えるが、思春期真っ只中の臼井くんは「フェンシングの話しかしないです(笑)。練習中は親だという感じでもないし、先輩でもなくて、上手くなるための練習相手ですかね」と少し素っ気ない。それでも、経験豊富な父のアドバイスは「ためになります」と、心の中では感謝している。
4月にはUAEのドバイで開催された世界カデフェンシング選手権のエペ部門に出場。間近に見る海外の同世代たちは「プレースタイルやパワー、スピード、全てが違いました」と衝撃を受けた。だが、そこで終わらせるつもりはない。「腕が長い上にパワーや思い切りがある選手との差をどう埋めていくか。そこを意識しながら練習を始めました」。次に生かしてこそ、学びになる。
高校生で得た気づき「応援が僕のモチベーションにも繋がる」
高校生が貴重な練習時間を割いてでも、練習会でコーチ役を買って出るのはなぜか。臼井くんが「僕たちも小学生の頃はもっと大勢の先輩方に教えてもらっていたんです」と明かすように、自分が教えてもらった感謝を次の世代に繋ぐプラスの循環があるからだ。
県内にとどまらず全国レベルで活躍する高校生の姿に憧れ、「モチベーション高く、楽しんで練習ができました」。そして今、臼井くんは自分が高校生になって気付いたこともある。「小さい子たちが一生懸命応援してくれるのは、大会の時に僕のモチベーションにも繋がりますし、大事だなと思います」。フェンシングを通じて育まれた世代を超えた繋がりが、人としての成長を促している。
中学2年の髙橋春翔くんも練習会を楽しみにしている一人だ。他のスポーツは少し苦手だったが、「相手との駆け引きが楽しいです」というフェンシングにハマった。コロナ禍で練習会が休みだった期間は「少し寂しかったです」。だからこそ、再開後の練習会は前よりもっと楽しい時間になっている。
3月の東北少年フェンシング大会・小学生C混成(1・2年生)で優勝した佐藤芙美さんは、姉の芽依さんと一緒にフェンシングを始めた。大きな目でジッと相手を見つめながら、背筋をピンと伸ばして剣を突く。「チャンスの時にいっぱいアタックするようにしています」と掴んだ優勝。「遊んでいる時より練習の方が楽しいです」と話す姿は、小学2年ながら一人前のフェンサーだ。
フェンシング文化を支える地元愛「ここに生まれて良かった」
「気仙沼に生まれて良かったです」
温和な笑みを浮かべながら、そう話す臼井くんの地元愛は大きい。だが、高校進学の際、少し頭を悩ませる出来事があった。
「僕が専門とするエペという種目をする選手が県内にほとんどいないので、普段はOBの方々に練習相手をしてもらっています。でも、中学3年の時に出場した県大会でエペを専門としない選手に負けてしまって、このまま気仙沼で練習を続けて成長できるのか、関東の高校に行った方が成長できるんじゃないかと考えました。その時、心に浮かんだのが、小学生の時から練習に参加させてもらっていた気仙沼高の先輩のこと。OBOGの皆さんにお世話になったので、やっぱり気仙沼高の臼井として結果を出して恩返ししたいと思いました」
人としての礼節を重んじる騎士道が基礎となるフェンシング。臼井くんにも自然と礼儀と感謝の心が身についた。理想の選手像を聞くと「強いだけではなく、日頃の挨拶や礼儀が当たり前にできる人になりたいです。まだ、時々欠けてしまう部分があるので……(笑)。外国人選手とのコミュニケーション能力は、社会に出てからも生きると思うので、フェンシングやスポーツを通じて身につけておきたいです」と頼もしい。
「気仙沼って学生が集まって遊べるような場所が本当になくて(笑)。でも、ずっと住んでいるので愛着があります。時々『ん?』って思うところもありますけど、ここに生まれて良かったと思うことの方が圧倒的に大きいです」
気仙沼の街を愛する心。それこそがフェンシング文化を繋ぐ原動力なのかもしれない。
【出演者募集】
プロカメラマンの南しずかさんが、あなたの部活やクラブ活動に打ち込む姿を撮りにいきます。運動系でも文化系でも、また学校の部活でも学校外での活動でもかまいません。何かに熱中している高校生・大学生で、普段の活動の一コマを作品として残したいという方(個人または3人までのグループ)を募集します。自薦他薦は問いません。
下記より応募フォームにアクセスし、注意事項をご確認の上、ご応募ください。
皆様のご応募をお待ちしております。
■南しずか / Shizuka Minami
1979年、東京生まれ。2008年12月から米女子ゴルフツアーの取材をはじめ、大リーグなど主にプロスポーツイベントを撮影する。主なクライアントは、共同通信社、Sports Graphic Number、週刊ゴルフダイジェストなど。公式サイト:https://www.minamishizuka.com
南カメラマンの目に映った気仙沼フェンサーたちの絆
「撮影協力:Pictures Studio赤坂」
(THE ANSWER編集部・佐藤 直子 / Naoko Sato)