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「投げるのが怖かった」侍J監督を救った豪州の光景 進む国際化「日本が一番でなくなる」日への覚悟

野球人口の減少が叫ばれる中、女子野球の世界は着々と広がっている。NPB球団が傘下に女子チームを抱え、甲子園で全国大会の決勝が行われる時代となった。野球日本代表「侍ジャパン」のダイヤモンドパートナーを務める三菱UFJ銀行は11月30日、未来を担う女子選手を対象にした野球教室「MUFG ONE PARK by 侍ジャパン女子代表 in 府中」を開催。ここに女子日本代表の歴史を作ってきた4人が講師として登場した。参加した女の子たちに伝えたのは、夢をもって努力することの大切さ。日本代表の中島梨紗監督が、海外の野球に触れて視野が広がった経験を教えてくれた。

侍ジャパン女子代表の中島監督【写真:羽鳥慶太】
侍ジャパン女子代表の中島監督【写真:羽鳥慶太】

女子日本代表の中島梨紗監督、子どもたちに伝えた「夢」の大切さ

 野球人口の減少が叫ばれる中、女子野球の世界は着々と広がっている。NPB球団が傘下に女子チームを抱え、甲子園で全国大会の決勝が行われる時代となった。野球日本代表「侍ジャパン」のダイヤモンドパートナーを務める三菱UFJ銀行は11月30日、未来を担う女子選手を主な対象にした野球教室「MUFG ONE PARK by 侍ジャパン女子代表 in 府中」を開催。ここに女子日本代表の歴史を作ってきた4人が講師として登場した。参加した女の子たちに伝えたのは、夢をもって努力することの大切さ。日本代表の中島梨紗監督が、海外の野球に触れて視野が広がった経験を教えてくれた。

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 会場となった府中市は、全日本女子野球連盟の「女子野球タウン」に指定されている。ここに11月のアジアカップで優勝した侍ジャパン女子代表の中島監督と、近年まで選手として活躍した川端友紀さん、只埜榛奈さん、田中露朝さんが集まった。86人の野球が大好きな小学生に、学年や経験に応じて打撃や守備の技術を伝える中、中島監督は野球未経験の子どもたちを担当。ボールをしっかり投げ、バットをフルスイングして打つ楽しさを伝えた。

 約1時間半の練習後に行われたトークショーで中島監督は、うまくなるコツとして「みんなにはいろんな選択肢があります。あんな選手になりたい、あんな風にバッティングしたいと思ってください。身近な人でも、テレビの中でもいいので」と、夢を持ち努力していくことが大切だと伝えた。

 ただ自身の野球人生を振り返れば「小学校2年から続けてきて、楽しめなくなった時期もある」という。出身は福岡県。大牟田市立橘中学校で、野球部に女子部員は1人だけだった。全国に高校の女子野球部が5校しかなかった時代に、たまたまテレビ番組で神村学園(鹿児島)のことを知り故郷を離れた。更に大学時代もプレーを続け、日本代表にも名を連ねた。

 女子が野球をする場が増える中で、一見順調な選手キャリア。その中で「中々思うような結果が出なかった」時期があった。2008年、日本で初開催となる女子野球ワールドカップ(愛媛県松山市)を目指していたころだ。21歳だった中島監督は「根を詰めてムチャクチャ練習していたんですけど、投げるのが怖くなって、トレーニングも怖くなって……」。袋小路から立ち直るきっかけは、海外の野球にあった。

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