不妊治療を経て、母になる大山加奈 我が子へ「どんなあなたでも素敵だよ」と伝えたい
大山さんが憧れる理想の女性と母・久美子さんから受けた影響
妊娠が分かると、周囲からは当然のように「子供にはバレーボールをやらせるの?」という質問を受けた。
「本人がやりたいといえばやってもらってもいいですが、いろんなことにチャレンジさせてあげて、その中で自分が夢中になれるものを見つけてもらいたい想いがすごくあります。私は出産後も仕事を続けるので、バレーボールの現場に行き、子供がバレーボールを目にすることは多いと思います。
でも、決して狭い世界じゃなく、広い世界を見せてあげたいです。本人がやりたいと言ってやるのならばいいのですが、親がやっていたからやる、ということでは面白くないし、成長につながらないと思うんです。本人が夢中になれるものが一番ですし、そういうものを見つけてもらいたいので」
子供の自主性を尊重し、可能性を伸ばすことが第一。それは、バレーボール指導の心がけと変わらないものだった。
大山さんにとって、理想の女性がいる。丸山(旧姓江上)由美さん。84年ロサンゼルス五輪女子バレーボール銅メダルのメンバーだ。引退後は実業団の指導者も歴任。同じく実業団の指導者だった貴也さんと結婚し、娘の丸山紗季はVリーグで活躍中である。
「江上さんに憧れるのは、すごく筋が通っていて、凜とされている。でも、温かい。すごく優しくて、いろんなところに目が届いて、心配りができる。あんなにすごい方なのに、あまり表に出さない。誰にでも分け隔てなく接するけど、根っこは強い。そういう女性になりたいと思っていました。
母としても娘さんがVリーグでプレーして、旦那さんが監督・コーチをしている。でも、そういう場面になると、一歩引いて母として応援している感じがすごく伝わってくる。本当に娘さんを愛していて、一番のサポーターになっている感じ。ああいうお母さんになりたいと私も思っています」
自分を育ててくれた母から受けた影響も大きい。17年にすい臓がんにより55歳の若さで亡くなった久美子さんは一つの指針になっている。「うちは3人姉弟ですが、分け隔てなく愛してくれていたこと。それが、いつも伝わってきました」と思い返す。
「そういう無償の愛というか、その部分はすごく尊敬していました。私たちはすごい量を妹(未希)と食べるので(笑)、そのごはんを用意するだけでもう尊敬に値します。自分がごはんを作る立場になると、あの量をよく毎日作っていたなと思いますし、それは愛がないとできないものなので。食費はどれくらいかかっていたんだろうと思います。
一方で、バレーボールに関しては一切、口を出さない人でした。ただ、応援はすごく張り切ってしてくれるし、毎日の練習の送り迎えをしてくれました。全力で応援してくれているということは伝わっていました。試合に勝とうが負けようが、家に帰ってからの態度は変わらないし、どんな結果であってもいつも一緒。それに救われていました」
36歳になり、今度は自分が我が子に愛を注ぐ立場になる。「だから、もし生まれてくる子供がスポーツをやるのであれば、いつも同じように結果に関わらず、受け入れてあげることは受け継いでいきたい」と自覚を深めている。
母になることへの想いを語ってくれた大山さん。ただ、母になるまでの過程に苦労があった。不妊治療だった。