ママアスリートの先駆者 クレー射撃・中山由起枝が変えたい日本社会の理解度
愛娘からもらった「お母さんは唯一無二の存在」の言葉
2度目の五輪となった2008年の北京大会。中山は4位入賞という快挙を遂げたが、当時6歳だった娘から次のロンドン五輪で競技を辞めてほしいと言われたという。だが、その4年後、ロンドン五輪の出場を決めると、誰よりも喜んでくれたのが娘であり、ずっと競技を続けてほしいと言ってくれた。
「この4年間の成長っていうのは、本当に大きな大きな進歩。ちょうど幼稚園から小学1、2年生の時期が一番寂しかったと思うんですよね。その時期にちょうど北京五輪だったので。でも、ロンドンまでの4年間で、娘が自分の中で殻を破ったというか、まだまだ頑張ってほしいという気持ちになったんだと思います」
リオデジャネイロ五輪が終わった後、順天堂大学大学院へ進学した中山は、女性アスリートが活躍できる環境作りについて研究。同時期に高校へ進学した娘と、同じ学生として切磋琢磨した。「私の方が先に大学院を終えたんですけど、娘の大学受験と自分の5度目の五輪予選が重なって、本当に家の中はピリピリしていましたよ(笑)。でも、お互いに『今度は自分の番だ』って活力になったと思います」と笑顔で振り返る。
大学1年生になった娘から、今では「お母さんは唯一無二の存在」だと言われているという。
「この言葉が私にとっては励みになっています。私たちらしい色であって、私たちらしい形。オリンピックまでのプロセスを通して成長した親子、ここにあり、みたいな(笑)。こういう親子なので関係性としては本当に愛おしいし、本当に私の宝物になっていることが何よりもうれしいですね。子育てと競技をやってきた私にしか味わえないことなのかなと思える瞬間です」
愛娘の話になると、心の底からうれしそうに目を細め、声を弾ませながらエピソードを披露してくれる。その姿を見るだけでも中山家の絆の深さが伺えるが、さらにこう続けた。
「本当に1/3くらいしか伝わっていないと思うんですよ(笑)。今度、娘を同伴して話を聞いてくれたら一番いいと思います。それくらいハチャメチャな子育てです(笑)。私にとっては子育てと競技生活の両立だったんですけど、やりたいことをやる、その姿勢を娘が受け継いでくれたのか、娘自身も自分の好きなことに突き進んでいく姿勢が見られるので、とても逞しく育っていますよ」
娘は母を「唯一無二」だと称え、母は娘を「とても逞しく育った」と胸を張る。中山母娘の姿は、ママアスリートが目指す女性アスリートの道を、明るく照らす一つの道標となりそうだ。
(THE ANSWER編集部・佐藤 直子 / Naoko Sato)