「余命半年」宣告から4年 がんで胃の2/3を失い、死を覚悟した54歳女性 今もステージで追う夢
闘病生活を支えた言葉「ダメです。待っています」
体作りに励んだ潤は44歳になる2013年、ボディコンテストに初出場。最初は予選落ちが続いたが、本野氏の指導の下、徐々に成績を上げていった。3年目には「オールジャパンフィットネスビキニ」で準優勝。東日本大会では優勝を果たし、「次こそはオールジャパンで優勝、そしてアジア大会、世界大会にも行きたい」と夢が膨らんだ。しかし、翌年は5位止まり。「過去一番良い体で臨んだ」というが、台頭する新たな世代に勝てなかった。
2019年2月、日本に初上陸したマッスルコンテストに出場。3位入賞を果たし、失っていた自信を回復した。弾みをつけて、日本大会、そして海外挑戦……次のステップを思い描いた矢先だった。
2か月後の2019年4月、スキルス性胃がんが見つかった。
11日間の入院生活。胃を3分の2切除し、退院後も3か月に一度定期検診に通った。体力の低下は著しく、最初は500メートルぐらいしか歩くことができなかった。協栄ジムとK-1ジムで受け持っていたインストラクターの仕事は8か月休止。本野氏の下で励んできたトレーニングも半年間休んだ。
「すぐに体が戻らないから、『あの大会出たかったのに、この大会出るはずだったのに』という心の葛藤があって、その時期が本当に苦しかったです。それを乗り越えるのにも一生懸命で。SNSなども絶対に見ないようにしていました」
復帰できるのか自信がなかった。職場には「仕事全部降ります」と伝えた。キャンセル待ちを多く抱える本野氏には「私の枠を譲ってもらって構いません」と伝えた。しかし、共に返ってきた答えは「ダメです。待っています」だった。
「復帰できたのは皆さんが待ってくれたから。皆さんのおかげで今があります」。周囲の人の温かい応援を受けて、前を向く決意をした。
大手術から復活した探検家のドキュメンタリー番組をテレビで見て、刺激を受けた。高校野球などの「動く物」を目で追って脳を活性化させ、歩くところから始めた。最初は500メートルも歩けなかったが、3か月後には10キロ歩けるように。それからは、雨の日以外は毎日10キロ歩き続けた。