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渦巻く批判「他国の出場枠を利用した」 国籍変更、内定取消…ビリから2番目の42.195kmの先に響いたカンボジアコール――マラソン・猫ひろし

スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

バッシングに晒されながら挑戦したリオ五輪で完走する猫ひろし【写真:Getty Images】
バッシングに晒されながら挑戦したリオ五輪で完走する猫ひろし【写真:Getty Images】

「シン・オリンピックのミカタ」#104 連載「あのオリンピック選手は今」第8回・前編

 スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

 五輪はこれまで数々の名場面を生んできた。日本人の記憶に今も深く刻まれるメダル獲得の瞬間や名言の主人公となったアスリートたちは、その後どのようなキャリアを歩んできたのか。連載「あのオリンピック選手は今」第8回はマラソン・猫ひろしが登場する。

 あの「カンボジアコール」は忘れない――。2016年のリオデジャネイロオリンピック。一人のお笑い芸人が日本から国籍を変更してカンボジア代表として男子マラソンに出場し、完走した後に思いがけない光景が広がった。一時はバッシングにさらされたこともあったものの、「オリンピックに挑戦して良かった」と心から思えたという。今もカンボジア人ランナーとして走り続ける猫ひろしが、リオでの激走とオリンピックの思い出を振り返る。(前後編の前編、取材・文=二宮 寿朗)

 ◇ ◇ ◇

 オリンピックは、普段のレースとは雰囲気も緊張感もまるで違っていた。

 リオデジャネイロ大会最終日となる2016年8月21日、男子マラソンは雨のなか午前9時30分に号砲が鳴った。カンボジア代表の猫ひろしはいつものように両手で猫のポーズをつくって「ニャー」と一声挙げて駆け出したものの、周りの迫力あるスタートダッシュに思わず物怖じしそうになった。

「メダル候補以外の選手は早いもの順なので1列目の中央に陣取ることができたんです。これならカメラにも映るかと思って。でもみんな興奮しているのか前に詰めすぎて、もうギュウギュウで。後ろにいた北朝鮮の選手が苦しそうにしていて、選手村でも知っているから目配せして横に入れてあげようかと思ったら、何も言わずに僕の前に入ってきたんですよ。周りも闘争心というか、これがオリンピックなのかって思いましたね。

 最初の100メートル、ダッシュして一番取ってやろうって考えたんです。それでも2列目から一気に6列目くらいに落ちちゃって、みんな恐ろしく速いなって、サーッと血の気が引いていくような感じがありました」

 当時の自己ベストは2時間27分48秒(2015年の東京マラソン)。リオでも2時間30分台で走ることができれば目標とする100位が見えてくると考えていた。

 しかしながら――。

 ハプニングとアクシデントが次々に襲い掛かる。給水ポイントにある自分のスペシャルドリンクが他のランナーに間違って取られてしまい、次は足にマメができて思うように走れない。これまでいくら走ってもできなかったマメが、まさかこの大一番で出てくるとは夢にも思わなかった。段々と猫に余裕がなくなっていく。

「マメは雨で靴が重くなっていたせいもあると思うんです。痛くてたまらなかったので逆につぶしたほうがいいかなって思って、強く踏み込んでわざとつぶしましたね。雨が上がったら今度は暑くてたまらなくて。(自分の)ペースがどうとかそんなこと考えられなくなっていました」

 過酷なレースコンディションとあって座り込んでリタイアするランナーもいた。周回コースのため、「自分がビリ」だと知った。それでも歯を食いしばり、マメをつぶした足を前に進めた。完走しないわけにはいかなかった。自分が国籍を変えてオリンピックに出場したことで、カンボジアからオリンピックに出られなかった選手もいるんだ――。何度もその言葉を胸のなかでリピートして、萎えそうになる気持ちを奮い立たせた。距離はもう30キロを過ぎていた――。

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二宮 寿朗

1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)、『鉄人の思考法~1980年生まれ戦い続けるアスリート』(集英社)、『ベイスターズ再建録』(双葉社)などがある。

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