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五輪採用には反対の声「カルチャーが壊される」 成功の裏で…日本にいた“五輪ブレイキンの仕掛け人”の献身

米国発祥のブレイキンも…実は競技としては「日本が先進国かもしれない」

 米国で発祥し、発展したブレイキンだが、実は競技としては日本が先進国かもしれない。深夜の駅で踊っている若者だけではない。多くの子どもたちが「自由なダンス」として親しみ、レッスンを受けている。ギャングの抗争に端を発するダンスはもともと男のもの。マイナーといわれたBガールのシーンを引っ張ったのも日本だ。

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 世界の頂点を決めるといわれる「Red Bull BC One」はもともと男子だけの大会だった。17年に女子として男子の大会に初出場したのがAYUMI(福島あゆみ)、翌18年に初めて行われた女子の大会を制したのがAMI(湯浅亜実)だった。五輪競技になって世界中で多くの若い選手が出てきてレベルも上がった。それでも「先駆者」は強かった。

 5年間、石川氏は大会方式や採点基準の整備に奔走していた。AMIは次々に出てくる新世代と対戦し、自身のダンスを見つめながらブレイカーとして成長してきた。2人が抱き合ったシーンは、ここまでの道のりを考えると、より感動的だった。

 男子のShigekix(半井重幸)もブレイキンを引っ張ってきた。五輪採用が浮上した翌日には高校の授業が終わった後に急きょ東京入り。ダンススポーツ連盟の会見で五輪への思いを語った。以来、広告塔としてブレイキンの魅力を伝え、国内外に発信してきた。

 AMIは「五輪初代女王」と言われたが、次は分からない。28年ロサンゼルス大会での採用が見送られたからだ。28年のユース五輪は実施予定だから復活する可能性もあるが、いずれにしても4年後はない。それでもShigekixは言った。「五輪でなくなっても、また新しい可能性が広がる。ブレイキンのシーンは、まだまだ広がります」。日本のブレイキンはパリ五輪を経てさらに広がっていきそうだ。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)


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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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